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「いっちゃん? 大丈夫?」
掛けられた言葉に驚いて目を開けると、エスカレーターからいま上に辿り着いたサエが、歩いてこちらに向かって来るところだった。壱の顔を見て明らかに心配している。
「あれ……電車乗らなかったのか?」
サエは壱の前まで来ると自分の背負っていたリュックを肩から下ろして、中を漁りだす。
「うん、いっちゃんの声が聞こえた気がしたから。呼んだよね?」
リュックの中から大判のハンドタオルを出したサエが、壱の額を伝う汗をそれで拭う。この髪、汗で濡れているの? なんて、呑気に言い、せっせと手を動かしていく。
「聞こえたのか……」
「うん、聞こえた気がしたから戻って来たけど、やっぱりいっちゃんだったね」
必死に追いかけて来た壱とサエはやたらと温度差があったが、サエの汗を拭く手が次第にゆっくりになってとうとう止まった。
「でもどうして来たの? 部屋に居たのは……彼女さんなんでしょ?」
「それはサエがまた居なくなるんじゃないかと……」
「どうして?」
どうして……それはサエがショックを受けていたと聞いたからだが、そのまま口にするのは流石になにか違うと思って口ごもる。
「いや、それよりさ。あの人は彼女じゃなくて、別れた彼女だから」
会話を取り繕うために話した事実に、今度はサエが狼狽して押し黙った。
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