決意

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 壱は砂糖を入れず、自分のカップを取り上げる。きっと何処かの有名な焼き物だったりするのだろう。曲線があしらわれたカップは色合いが地味なわりに、何故か目を引くような気がした。  カップからサエに視線を戻すとサエがキョトンとしているので「なに?」と聞いてみる。 「この前の人って? 高校の時の……バイト先のマスター?」 「え? この前の人はこの前の人だよ。ほら、どう見てもその道のガラが悪いオッサン」  ああ。とサエは漏らして、違うと言ってから、スプーンでコーヒーを暫く考え込むように回していた。 「石田さんとはそう言うんじゃないんだよ。あまり言ってはいけない気がするのだけど、石田さんは大切な女性(ひと)を失ってから、女は抱けなくなったって……不能って意味ね。だから、私達は一緒に住んでは居たけど、恋愛感情もなければ体の関係もなくて。でも、私には優しくしてくれた恩人なの」  それを聞いて壱は素直に「ごめん」と謝った。何度か話題に出る度にあまり良い言い方はしなかったはずだから。いやだって、俺には失礼だったし。なんて言い訳は自分の中にしまっておく。もちろん、謝りつつも嬉しい誤算はしっかりと耳に残っていた。そうだったのか、恋愛感情もなければ体の関係もなかったのか……。 「いっちゃん、顔が溶けてるけど大丈夫?」  サエに指摘されて、とりあえずシャキッと表情を整え、勝手に顔がにやけてしまう前にコーヒーを飲むことにした。口当たりはマイルドなのに苦みがあって、でも後味は微かに甘いウィンナーコーヒーを啜る。熱めの液体は体の中心を通り、壱をしっかり温めていく。
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