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壱はふんと鼻を鳴らして「お前がどんどん俺に似てくるからだろ」と言い返す。新の方はリュックサックを背負い直して「まあ、気を付けてな」と家へ歩いていこうとした。
「あ、新。皆で夕飯お寿司屋さんに行くの。一緒に行けるよね?」
くるりと振り返った新は「まさか……゛いちはま寿司゛?」とさっきまでの言い争いが嘘のように晴れあがった空のような顔で問う。
「現金な奴だな。お前はガリでも食っとけ」
「おーやっぱり゛いちはま寿司゛じゃん! この前テレビで取り上げられてから大行列だよ?」
「あ、まじか」
「俺、予約しておくよ。実は友達がバイトしてんだよね」
「お前いい友達もってんな。よろしく」
兄弟二人にとっては多少の言い争いは挨拶みたいなものらしく、いつもこの調子ですぐに何でもないように会話を終えていく。だからいつでも安心して二人のやりとりを聞いていられるのだ。
また後で。なんて軽く手を上げると、さっそく新はスマホを取り出してなにやら操作しながら家の中へと入って行った。きっと予約をしてくれるのだろうと思いながら見送っていた。
「んじゃ、行こうか」
二人は銘々自転車に股がり、ペダルを踏み込む。いっちゃんの自転車は紗英が見ても明らかに漕ぐのが大変そうだった。いっちゃんが前傾姿勢で力を込めてペダルを漕いでいく。
家の敷地を出れば直ぐに下り坂。傾斜はきつい。自転車は漕がなくても自然な流れでくるくると車輪に付いた反射盤が回って行く。
懐かしい、この風、この景色。
「気持ちいいー」
壱はサエが楽しそうに坂を下って行くのを自分も風を感じながら見つめていた。泣いた名残で目の周りがまだ赤い。それでも上機嫌で自転車に乗っているサエ。
こんな日が来ようとは。
壱ですら鼻の奥がツンとしていた。隣で紗英がご機嫌で自転車を漕いでいたり、時には鼻歌を歌っていたり、そんな普通の日々が再び戻ってきたことに心から安堵していた。
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