人の形を捨てなくて良かった。

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 ○  人の形を捨てることは存外、容易いことだった。内側にある、私の魂を強く意識する。内臓を焦がすかのように熱量は高いが、輪郭は曖昧だ。どこまでも私のようであって、けれど無限ではない。私という存在は距離があり、限度があり、縛られている。その私を覆っている肉体を意識する。特に一番外側にある、私の形を覆っている皮膚。私は、(さなぎ)から蝶になる光景を思い浮かべる。私の魂で、皮膚を突き破るイメージをする。(つぼみ)が花開く様に似ている、と思った。いずれにせよ、美しい。人の形を捨てることは、美しさを手にすることと同義であるのかも知れない。私の形は、人の目を逃れることが出来るようになるのだから。  私は、私の内にあるエネルギーを凝縮させて、ひゅっと皮膚に穴を開ける。暗闇の魂に、一筋の光が差し込む。ナイフのように鋭い、光だった。その光に切り裂かれるように、私の肉体は開かれていく。その隙間を縫うようにして、私の魂は大気中に放たれる。十七年間連れ添った肉体と別れを告げた。私であったものは、その形を亡くして、どろどろに融けていった。少し、勿体(もったい)ないような気がした。私の肉体は、贔屓目(ひいきめ)なしに見ても価値のあるものだった。  肉体という(おり)から解放された私は、しばらく、空気の流れのままに揺蕩(たゆた)った。心地よい。際限なく、私を広げることが出来る。どこまでも私であって、どこからか私であるのか、曖昧(あいまい)。適当であることを、許されていた。私が私である必要性すらも、あまりないようだった。誰でも良い。私を定義する必要はない。定義される拘束力もない。それはあまりにも快楽だった。空を羽ばたく鳥が、私の領域を通過する。鳥の形に合わせて、私の空間に穴が空いて、羽根の羽ばたきに合わせて適当に流される。雨が降れば、私は無数に分断された。夜を迎えれば、私は沈んだ藍色に染まり、淡く降り注ぐ月光や星の光を、優しく受け止めた。  私は、どこまでも、どこまでも、私だった。  けれど、空気の震えが、私を(おびや)かした。
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