人に身体を売るのは罪ですか

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人に身体を売るのは罪ですか

しかし文字通りそんな器量など私にはなかった、何せ童貞のごとき異性との交流のなさだ、したがって私の声はふるえていた(もっとも気迫に押されもしたのだが)。「わ、わかりません、何となくそういう気がしたのです。気に障られたのなら、ど、どうか許してください」といったんここで切って彼女の気を静めようとした。まったく天才に対して下手な感想など述べないことだ。かしこぶった当推量の類がどれほど相手の気を荒げるものなのか、想像もつかなかったがこれでいい薬になった。ここはもはや自分の口を封印してひたすら彼女の言を受けるに如かずである。事実私は彼女のすべてを受けたかったのだ。胸の奥まですべてを、洗いざらい。その果てにこそ一葉と通じ合うものがあるのに違いない。 「あの、え、遠慮は要りません、あなたが今思うことを仰って下さい。私はその、受けますから…」という私の目をじっと見ながら彼女は切り出した。「…身を売ることは罪でしょうか?」「えっ?」「お金の為に、自らの本懐を為すために、人に身体を提供するのは間違っておりましょうか、どうですか!?」まさかいきなりこんなことを聞かれるとは思わなかった。繰り返すが私は確かに55才の年長者だが未だ女性とシリアスな会話などした事はない。どう受ければいいのか、たじたじとしている私の様子を見れば勘のいい女性のこと、直ちに「あっ、この人はまだ女知らずの子供のような人」と受け止めてくれて話題を下げてくれようがところが一葉は違っていた。如何な頓着せず私の返答を待っている。どうも普通の女性の様子とは違うようだ。人一倍感性に鋭い筈の一葉が私の「男でなし」に気付かぬ筈はないと思う。よく夢の中では建前がすべて取っ払われて、本音が現れると云うが今の彼女がそのごとしだ。すなわち彼女の内の偽我ではない、真我のようなものが現れているとも見えた。夢の中では毎日の暮しに於ける些細な想念や常識事など、謂ばどうでもいい偽我の類は雲散霧消するのだ。それで云えば先程の私の窮状を慮ってくれた事にしても今と同様に彼女の真我、生地なる本性が現れたまでのこと。その赤裸々な思いやりゆえに私は感極まってしまったのだろう。しかしもしそれであるならば私も建前なしの本音で応えねばなるまい、さきほどの感想うんぬんの戒めも忘れ、意を決めて私は自らの正直な所を開陳する。
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