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父・樋口正義氏の慈しみ
世の意向、あるいは男の意向に立脚したものなどでは更々なく、もともと彼女の内にあった、生来彼女が育んできたお蝶そのものが作品に現れたというのが正解だった。地位・名誉・金などになびきがちな世の姿に与しない、しかしその出処まではわからない自律心のようなものが彼女の内に元々あって、なるほどそれに樋口家没落以前の「銭金はいやしきもの」とする訓導をお嬢様時代に受けもして、斯くお蝶として結実したものだった。それをひねくれ根性で勘繰って、世の意向に沿うもの、などとした私の指摘は彼女にとってどれほどくやしいものだったろうか。こう考えていただきたい。小説「うもれ木」に於ける兄入江籟三を彼女の内の本地、すなわち銭金や権力になびかぬ、謂わば真善美こそとする境涯にそのまま置きかえてもらいたいのだ。すればいまの一葉の立場は自明であろう。確かに彼女はいま兄入江頼三のために妾になるのだった。自分のためではない。しかし斯く云う私が見取った彼女に於ける理を世間はそうとは見まい。いや見れまい。単にやはり「自分のため」か、あるいは「生活に負けて」妾になるのだとぐらいにしか見ないだろう。しかしいずれにせよ、それへのくやしさと、またどうしても自分で自分をあざむくような、単に自らに詭弁を弄しているだけとも見てしまう、そのくやしさもあいまって、彼女はいま斯くも堪えがたいのだった。そのうっ屈のからくりが、他ならぬそのいとしいお蝶を前にすれば、私には実によくわかるということだ…。
と、このとき目には見えないが我々2人のかたわらで何の為にか、いや誰の為にだろうか、人が泣いているような、何某か波動のようなものが伝わって来た。何とはなく私は、もし今この彼女の姿を彼女の父上、今は亡き樋口正義氏が見るならば、いったいどう思われるだろうかとふと思ったのだった。愛する妻を、また愛娘2人を、彼は心ならずも事業の失敗ゆえの貧窮の中に残して行かなければならなかった。はたしてそれはどれほど無念だったろうか。そして生計の煩わしさなど考えさせもしなかった、箱入り娘として人一倍可愛がっていた娘夏子(一葉の本名)の、今の生き行く苦労を見るならば、こちらもまた万端遣るかたあるまいと思われた。そのように想像するうちに突然胸がいっぱいになり、はからずも私の目に涙がにじみ出た。
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