清水の舞台から飛び降りたい!

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清水の舞台から飛び降りたい!

まさに師匠と思うその人と相聞歌を為すなど…それこそ至福の至りなのだが、しかし「はたやはた」でもある。名人とド素人が将棋を指すようなものだからだ。痛し痒しなのだが、しかしここはもう清水の舞台からと思ってやるほかはない。意を決めて「いや、光栄です。私はいままであなたの和歌を手本にしてやって来た者ですから…その師匠に私こそ大僭越なのですが…」と云って暫し黙考し、どうにか一首をひねり出した。彼女が余所衣を脱いでくれたことに感謝しつつ、その誘いとなってくれたものをこそ、私はこう詠んだのだ。「士(おのこ)やも我(わが)泣きごとを云ひもぞするもばら受けなむ尚泣けよかし、君」と。一葉はその拙歌をはっきりと聞き取り、やおらそれを声に出しては繰り返し、続いてこう受けてくれた。「泣けばこそかかる清(すが)しき思ひすれ士(おのこ)の胸はありがたきかな」。それを聞いていやこそばゆいこと、そうでないこと。嬉しさ余ってそれこそ本当に清水の舞台から飛び降りてしまいたい気持ちにもなる。これ以上云っても仕方ないから云わないが、私にとってこれ以上はないシチュエーションでの、これ以上はない果報なのである。一葉がこの私を、世になさけなさすぎる私を、〝男〟として認めてくれたのだった。この嬉しさをお察しいただきたい…。  私の喜ぶ様子をともに喜んでくれるような表情をして一葉は「まあ、気丈なお方ですこと。まさしく士(おのこ)を見ます、あなたに、はい。ほほほ。これではあなたのことを判ることにはなりませんが、しかしあるいは一番わかったのやも知れません。あなたの身分や地位がどういうお方であれ、いまのお歌に一番あなたが出ているのでしょう。〝堪能〟致しました」と云ってくれた。これに対して何をか云わむ、また云うべしや。先程もそうだが思い余ってただ一言を返すばかりである。「いや、ありがとうございました。師匠に褒めていただいて、こんなに嬉しいことはありません」と。
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