今は明治27年の2月です

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今は明治27年の2月です

最近では珍しくもないタイムワープ物の、SF映画のごとき事態が出来(しゅったい)しているのだろうか。まったくにわかには信じられなかったが、しかし私はあえてこの奇跡の中に没入すべく、急ぎ自らをしつらえたのである。すなわち耐え難い車上生活の果てにとうとう私の頭が狂ってしまったのか、あるいは仮にこれが事実として、では何故、私ごとき悉皆取るに足らぬ者の前にかくもの著名人が現れたのか、などという疑問や付いて離れぬインフェリオリティの呪縛などすべて払い除けて、とにかく私は彼の人との共有を選んだのだ。「そうですかあ…い、いや、そうです、そうです。確かに今は明治27年の2月です」とうなずいてみせ、次にいよいよ彼女の名前を呼んでこの奇跡を確かめ…いや、共有しようとこころみる。「それで…大変失礼ですが、あなたはその…樋口一葉さん…ではありませんか?文芸誌〝都の花〟に若松賤子さんや、えーっと、その…」記憶を手繰る私に彼女は「小金井喜美子さん、ほほほ」と助け船を出してくれ、なおかつ自らの一葉なりを認めたのである!まさに「これはこれは」だった。他のいかなる著名人が時代や空間をワープして私ごときに対面してくれようとも、私がこれほど感激し、入れ込むことはなかっただろう。若い頃より今に至るまで彼女の生き方と作品に共鳴すること甚だしかったからである。特に斯く車上生活に追いやられてからは(私を寝かせない、仕事させない、生活を破綻させるという、ある悪意の特定集団のストーカー行為を受け続けて私はこうなった…)頓にその傾向が強まっていた。もっともこの〝一葉好き〟はひとり私だけではあるまい?少なからぬ人々が彼女への親近感を抱いていよう?彼女ほど我々日本人に愛され続ける人も少ないのだし、蓋しそれが現五千円札になる事由なのだろうがもっともこれは蛇足である。 「ああ、そうでした」と感謝して続けて「何せあの文芸誌のお顔を覚えていたものですから、あなただとすぐにわかりました。始めまして。私はあなたの大ファンなんです。もっとも今は誰でも五千円札であなたと知れるでしょうが…」と自分ばかりが合点して入れ込んで云う。 【いまはお金そのものになっている一葉…なんという皮肉 from pinterest】1ef3d21e-1797-4040-8601-8229b7b9d14a
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