第一話

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 それが、この世界では普通の事なのだ。誰も悪くない。  貴族の子の親がアグニの父親に罰を与えたのも、そうしなければ領民になめられてしまうからだし、領民になめられた領主やその家族が酷い末路をたどることは、この世界では当たり前に知られる事だ。異端審問を取り仕切る教会も、アグニの魔力量を疎んじる平民から上がる声に否応なくただの女を魔女と認めただけだし、そうしなければ教会という名の権威が落ちてしまう。教会の名が地に落ちれば、地域の風紀が荒廃してしまうのは目に見えているのだ。  だから、誰も悪くない。そんなことは、ただ運が悪かったと割り切るしかない。  獲物に猟銃を向けて引き金を引いたとき、暴発するような確立的な運の悪さ。  この世界は、そういった良いことと悪いことが天秤の皿に乗っているだけの世界だ。  ふとした切っ掛けで、良くも悪くもなる。  けれど、そんな普通に納得できていれば、アグニも父や母の様に殺されていたはずだ。街から迫害を受け、追い出され、どこかで死んで、魔物や獣に喰われていただろう。  けれど、アグニは生きている。 そして、そんな普通に納得できなかったのが、父と母だ。  アグニが貴族の子に怪我を負わせたと知ると頬を打ち、抱き寄せ、涙を流して、たった一言〝逃げなさい〟と言った。自分がどんなことをしてしまったのか、アグニ自身が気付いたときには、アグニの体は父親の知人に連れられて山を越えていた。  ただ、それだけの過去。特別なわけじゃない。条件こそ違うが、この世界でアグニのような不運な子供など、数えきれないほどいる。生まれて言葉を喋り出す前に命を落とす子供の数なんて、誰だって考えたくもない。  その中で運がよかったのは、一年前まで、手を引いて山を越えてくれた父親の知人が面倒を見てくれたことだろう。その知人も今では他界しているが、アグニにとって保護者がいたことは幸運なことだった。いまでは〝喧嘩士(けんかし)〟などと呼ばれるほどには体を鍛えることが出来たし、商人と高貴な人間くらいしか出来ない文字の読み書きも教えてもらえた。  もし、育て親の彼がいなければ、今頃アグニはどうなっていたか分からないのだから。
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