第一話

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今から大体十ヶ月ほど前。アグニの育ての親だったゴトー・マッフェが大往生し、アグニが旅に出て大よそ二ヶ月がたった頃の話。  ゲールーゲという山で太陽が中天を過ぎようとしている時間帯に、アグニはバナコーラ国から逃げてきたと言う貴族の娘――ミーナ・レコイフス・ゲッペシュドール・アルマディウスと出会った。  なれ初めは、どこかの古書店に銅貨一枚でセット販売されているような三文小説にありがちなもので、「助けて!」。突然、そう言われた。これならまだ空から降りてきた天使の方がドラマを展開させやすい。 「……ああん?」と、アグニが本当にだるそうに顔を向ければ、純白の外套(ローブ)を纏った少女が一人。その後方一〇〇レートルほどに、薄茶色の面を付け、全身を漆黒色に固めた、どう見ても暗殺者といった風貌の連中が三人、こちらに向かって走ってきていた。連中は山という足場の悪い場所を駆ける身のこなし方から相当の力量がうかがえる相手で、あんな連中に追いかけられていて何故少女が今も無事なのか、アグニには分からない程だった。  だから、焚火の前に陣取って小動物を丸焼きにしていたアグニは、簡潔に言ったのだ。 「嫌だ。面倒臭い。つーか、見たらわかるだろ。俺は今から飯なんだ」 「なっ、ご飯に負けた! 普通こういうときって助けるもんじゃないかなっ!」 「英雄譚(えいゆうたん)の読み過ぎだ。それか、恋愛劇を観すぎ。世の中そんなに甘くない」  アグニは棒切れで焚火を突き、そろそろかと呟きながら、さっき獲った居眠り狸(プーヤン)という動物の丸焼き加減を確かめる。丸焼きと言っても血抜きから始まり、頭を切り落として皮を剥ぎ、内臓を抉るという下準備が必要なので、アグニの服には所々返り血が跳ねていた。 「甘くないなんて知ってる。だからここまで逃げてきたのっ!」
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