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呆れたように溜息を吐き出して、それからそっと窓枠へ硝子の兎を置くと、昨日はやたらと賑やかだった一軒の店を眺めて、友である頑強な体躯の持ち主を思い浮かべた。
(……私を良き王と呼んでくれる我が強盛たる騎士ジョイズ・モントレーよ。私が本当に良き王ならば、孫ほども歳の違う娘に間諜などさせるだろうか?)
年老い、落ち窪んだ眼窩に長年の苦悩を染み込ませた瞳を暗く輝かせ、
(私は、玉座の背丈に見合うだけの事を、しているのだろうか?)
グロウスは、苦汁を大きな刷毛で塗り込めた様な皺だらけの顔を、すっと撫でた。
そのときバラン、と。骨ばって枯れ木のようになった指が、顔に深く刻まれたリュートの弦の様な皺を弾いた瞬間、失笑もついでに、くい、と口角が持ち上っていた。
「ふふ、はは、ははははは……あー、まったく。私という人間は、今更にも程というものがある。やらねばならぬ事を前にして、惑っている場合ではないよ、なあ?」
己を馬鹿にした様な小さな笑いを喉の奥から絞り出して、ここにはいない友に尋ねる。
そしてグロウスは、王の表情を自身の老いた顔に張り付けてると、部屋を後にした。
一国の王としてやらねばならぬ事をやり遂げ、顔も知らぬ友と、旧知の友との約束を果たす為に。
「侯爵、そなたの願い、いまこそ果たそうぞ。我が豪胆たる騎士ならば、必ずやそなたの願いを守り抜いてくれよう」
そこにはもう、歳さらばえ、髭を長く蓄えた好々爺などいなかった。
余りにも大きな背をした一国の王が、己が戦地へと歩んでいた。
†††
アウラの小さな光が、腰にさがった硝子の兎から消えて十分。
今はベッドの上に居る女だが、救護員が駆けつけた時には〝B24〟と呼ばれる隠れ家の床で大量の血を流したまま横たわっている状態だった。体に付けられた傷は数十に及び、部屋中が血の臭気に満ちていたほど。
ベッドに移された女の周りには数名の救護員と王国騎士という丸一日ぶりの他人の姿があり、生死の境を彷徨っていた女にとっては、やっと気を休める事が出来る状況になっていた。
「まったく、酷い怪我だ。これで死んでいないなんて、相当な悪運だよ、あんた」
救護員の一人は的確な処置を手早く施しながら、感心と呆れの中間あたりの声を漏らす。
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