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小雨が降る、シンシンと寒い日。
私は長い長い道のりを傘も差さずに黙々と歩く。
なんてことはない。散歩中に雨に降られただけだ。
曇天だと高を括り、傘も持たずに出掛けた。本当にそれだけのことで、他に特別な意味などありようがないのだ。
それに雨に降られて濡れようが、そんなことはどうでもいい。厚手のコートを着ているし、歩く内に体も温まってきたから小雨に当たる程度で風邪なんて引きやしないだろう。
さて、自宅を出てからここまで、どれだけの時間と距離を歩いてきたのか。
目的地は腐れ縁の営む書店。いつもはバスで行く道のりだが、気紛れに歩いてみようと思ったのが間違いだった。歩けども歩けども、一向に店に着きやしない。
わりと長い道のりを歩いた実感はある。それでも最後に通過したバス停を見る限りでは、本日これまでに歩いた距離のあと二倍ほど移動せねばならないらしい。この事実に私は心底うんざりした。
(完全に失敗だ。徒歩は無茶ではないが、無謀ではあったな)
体力的な話では、長い距離をいくらでも時間を掛けて歩くことは平気なのだ。痩せ我慢ではなく本当に無理なわけではない。
ただ、体力的には平気でも、意識的にはどことなく移動が面倒くさいと思えてきた。
(フフ、面倒くさい、ね)
ふと湧き出たが最後、脳を一瞬にして侵食するのみならず肉体をも心なしか重くさせたその思考の速攻力のある毒性に苦笑する。
歩くのは別に苦ではない。
ここ数年は幸いなことにこの場所に留まれているが、それまでは十年以上の年月を日本国内といわず、世界中を放浪した身だ。徒歩だろうとどんな乗り物だろうと関係なく、いつまでも何処へでも赴いてきたのだから、長距離の移動は慣れよりも当たり前のものとして享受している。
また、肉体や体力が衰えて厳しいなんて体たらくも今のところはまだない。余裕で動けるし、目的地まで行き着くことも確信している。ただ、ひとえに面倒くさかった。
旅をしていた頃とは違い、きちんとゴールもあるし、距離も途方に暮れるほどのものではない。
それなのに面倒くさいとはこれ如何に。
(まあ、答えは簡単なんだがな)
こうして歩くことに、意味が然程ないからだ。
体力作りや筋力向上を狙う等、徒歩に意味を見いだしているのならば、面倒だなどとはあまり思わないだろう。だが、今回の徒歩での移動に気紛れ以外の意味はない。
金も持っているから、今からバスやタクシーを使うことだってできる。……バスを待つのもタクシーを拾うのも面倒くさいが。
目的地だってどうしても行かなければならないわけでもないのだ。本を物色しつつ腐れ縁のしけた面を拝むという、本当に暇潰しするために赴いているだけなのである。
気紛れと意義が特にない散歩、おまけにこうして雨にまで降られたのなら、そりゃあ、道中で飽きて面倒になるのも致し方なかろうよ。
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