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(なんてな。歩いているとつい、余計なことを考えてしまうな。放浪時代からの癖は相変わらずか)
放浪中は疲労や空腹、赤貧、怪我や略奪のトラブル、孤独感などの苦難がつきものだ。そんな苦難を紛らわせるのに、考え事は最適だった。
どんなに辛い環境に身を置こうとも、思考の海に揺蕩っていれば辛苦から僅かの間だけ目を逸らせる。上手くいけば、打開策を打ち出すこともできた。
思考中は時間の経過も麻痺するから、長く険しい道を往こうとも、考え事をしている間に目的地に着いていたこともザラだ。
人は一人で過ごす時間と苦難を感じる時間が長ければ長いだけ多く、そして深く思考する。私は特に、幼い頃から孤独と苦難につきまとわれていたから、その分だけ思考に埋没する傾向にあったのだろう。放浪中は本当に様々なことを飽きもせずに考えていたものだ。
放浪の始め――体が弱くて歩みも頼りなく、今みたいに歩くのが面倒だとかいう巫山戯たことを考えるよりも先に、体力が底を尽きていたあの頃は、実に弱音ばかり吐いていた。
――痛い、痛い。
足と言わず、全身が痛くて堪らない。
何故、自分はこんな目に遭ってまで歩いているのか。
どうして、先の見えない旅をせねばならないのか。
あと、どれくらい歩けばいいのか。
追手はまだいるのか。
終着地はあるのか。
放浪のきっかけが腐れ縁の後押しによる家出だったからだろうか。歩くさなかに脳裏に浮かぶのは文句と嘆き、自問ばかりだ。
そうして脳裏に浮かんだどんな思考も、結論はいつだって同じものに至った。
――まあ、仕方あるまい。
自分は魔物かバケモノなのだから、こんな辛い目に遭うのも当然なのさ。
なんの因果か、因縁か。
生まれいでたその瞬間より、私はまわりの大人達から魔物、バケモノのレッテルを貼られて、長きに渡り幽閉されていた。
何故、そのような不名誉かつ理不尽なレッテルを貼られたのかは私の出自にある。
親が魔物やバケモノだったから。
鬼の子と|バケモノと称されるほど強力な祓い師。その間に生まれた私は、周囲にいる誰からも異端視され、腫れ物として扱われていたのだ。
今、私の体には小雨が絶えず降り掛かっているけれど、こんなものはあの頃――生まれてから"家"を出奔するまでの間――に四六時中、周囲の人間達から向けられていた畏れと蔑みを籠めた冷たい視線に比べれば、なんてことはない。
(ただ、この冷たさは少し堪える)
小雨でも浴び続ければ体は冷えてくる。
体が冷えると、忘れたいほど忌まわしい過去も自ずと思い返された。
そういえば、昔、周囲の者から注がれていた視線もまた、この雨のように冷たく、徐々に私の心身を孤独という毒で蝕んだものだな、と。
(ああ、面倒くさい)
歩くのも忘れたい過去を思い出すのも、もう面倒だった。
こんな羽目になるとわかっていたのなら、散歩しようだなどと思わなかったのに。
(今日はもう、歩くのは御免だ。次のバス停に着いたら、バスに乗ろう)
道のりは長い。足が重い。それでも歩かねば。
バス停まで、私はあと何分歩けばいい?
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