第1章 陽成院の大津舟

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第1章 陽成院の大津舟

 今は亡き父が申しておりました。  伊勢御息所がまだ「伊勢の君」と呼ばれていた頃のことを。  父も御息所と一緒に洞院の后の歌合に出たことがあります。  私は左衛門佐・在原棟梁の娘です。世間的には、在五の中将・在原業平の孫娘と申した方が通りが良いことでしょう。  でも、伊勢さまが父を覚えていてくれると嬉しいです。  女房として出仕するならば、伊勢の君のようにその才能で華やかに貴公子たちの間を立ち回りたい。そのように私たち中流貴族の若い娘は言っておりました。  私にも出仕の話が出ました。  幼かったので、女の童として釣殿の内親王に出仕することになりました。  出仕するにあたって父は言って聞かせました。 「唱子や。いずれお前も女房になる。和歌は父でも祖父でもなく当代の才女・伊勢の君を手本になさい。ただし、伊勢の君のように、父や祖父よりもはるかに身分の高い貴公子を捕まえるのはあまり感心しない。私には婿殿の世話ができなくなってしまうからね」  内親王は当時の帝の妹君で、女房を探されていたのは、帝が陽成の上皇に内親王を差し上げようと、釣殿に住まわせて上皇を通わせるおつもりだったからです。  私は「大津舟」という名前をいただきました。裳着の後に女房になったら、祖父にちなんで「中将」になる予定でした。  桜の季節に帝は内親王さまを釣殿に置き、上皇と共に行幸されました。帝は弘徽殿女御さまをお連れになり、女御さまに従って伊勢さまもおられましたね。院も帝も女御も美しかった。伊勢さまはよく例えられるように、なるほど天女のようだった。  しかし、本院の右大将さまは花からお生まれかと思いました。威厳がないと評されるけれど、すらりとしたお体に、色白の肌。そして切れ長の陽気な目。弾力のありそうな、口角の上がった唇。  一方は当時の天子さま。もうお一人は上皇さまですよ。さらに、着飾った内親王に女御や天女までおられたのに。私は、花吹雪の中進む舟の上の、天女を従えた貴人から目が離せなかった。
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