純喫茶「タバコ」

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 コーヒーを淹れてくれた人に対して子こんなことを言う人はそういない。和子は腹を立てそうになったが、お腹はすぐにまた横になった。  おかげで思い出すことが出来た。以前にもこう言われた事があった。  小学生の時、和子は父を亡くした。その後、母は悲しみにくれること無く数日の内にタバコ屋を再開した。口ではお客様に迷惑がかかるからと言っていたが、もしかしたら早く悲しみを紛らわせたかったからかもしれない。  あの頃、和子が学校から帰り台所で手を洗っていると、以前と変わらない母の背中が横目に見えた。上から糸で引っ張られているかのようにまっすぐ伸びた背中。しかしその糸が切れてしまったら崩れ落ちてしまうのではなかろうか。悲しみを押して店番をシているのではと思うと母はとても儚く見えた。 「お母さん……」  気がつくと和子は母のすぐ後ろにいた。体が勝手に動いていたようだ、苦手だったお店の中に苦もなく足を踏み入れていた。手には、自分がおやつと一緒に飲もうとしていたコーヒー。インスタントと砂糖をお湯で溶かしただけのもの。  田中のおじさんとの話をとめて振り返った母は、訝しげにカップを受け取り飲んだ。  そしてあの時も、今と同じように言ったのだ。 「ヘタクソだねぇ」  飲む前はあんなに厳しかったあの顔を、嬉しそうに綻ばせて。  コーヒーの淹れ方を練習しだしたのはこれ以降のことだった。また母の笑顔を見るために。
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