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「秋の日はつるべ落とし」とはよく言ったものである。田中のおじさんが帰ってから一時間ほどで、あっという間に真っ暗になった。
午後七時、閉店時間になったのを確認して和子はシャッターを閉めた。コーヒー豆を取り出しクーラーボックスの中にまとめる。代わりにカウンターへ元のようにタバコを詰め直していく。多少並び方が変わっているかも知れないが気が付かないことを祈るしか無い。最後に豆が転がっていないか、クリームのついた食器は残してないか確認し、本日の乗っ取りミッションは終了した。
本日の来客四名。売上はコーヒー二杯分とシュークリームがマイナス六個分。とても店としてやっていける売上ではない。しかし頑張って作ったコーヒーやお菓子が美味しいと言われるのは嬉しかった。次に頼まれた際もまた乗っ取ってやろうかしらん、などと考えながら和子は夫が待っているだろう家に帰ろうとした。
突然、シャッターの叩かれる音がした。こんな時間にお客さんだろうか。だとしたらもう豆は片付けてあるから、タバコ目当てのお客だろう。最後くらいはちゃんとタバコ屋の店番でもするか、と和子はシャッターを開けた。
暗がりの中、街灯に照らされて妖怪が立っていた。
いや、よく見ると母だった。
「お母さん! もう大丈夫なの?」
「鎮痛剤を打ってもらったからね。歩くぐらいは出来るさ」
以前よりもシワが増えて老け込んでいた。ピンと伸びた背筋とへの字に結んだ口元、久しぶりに見た母はあの頃と変わらず厳格に見えた。ただ歳を重ねたせいか、何となく小さくなったようにも感じた。
「店番はちゃんとやったんだろうね」
「あ、当たり前でしょ」
母は「どうだかねぇ」とつぶやいて、店内をギロリと見渡した。勝手に喫茶店を開いたことがバレては大変と、和子はコーヒーを勧めた。
「腰の悪い私に、立って飲ませるっていうのかい?」
「ちょっとだけよ。すぐに入れるからちょっとだけ我慢して」
「立ち食いそばじゃないんだから」
「いいじゃない。どっちもすするもんでしょ?」
程なくコーヒーを手渡した。母は憮然とした顔でカップに口をつけた。
「相変わらず、ヘタクソだねえ」
母は持ち前の偏屈さを発揮してそう言った。
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