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 僕がこの世に生まれてからというもの、両親は大喜びだった。でもそれは、生まれてきたこと自体にではない。僕の性能の高さにだ。  僕は自分で言うのもなんだが非常に優れた人間だった。だから両親はよく言っていた。 字が綺麗なのはお母さんに似たんだね、運動神経が良いのはお父さんに似たんだね、勉強ができるのはお母さんに似たんだね、器用なところはお父さんに似たんだね、人付き合いが上手なのはお母さんに似たんだね、我慢強いのはお父さんに似たんだね。と、誇らしげに自慢げに僕の優れたところを見つける度に。  僕はそれが嫌だった。似たんだね、似たんだねと言われることが。当たり前だがどんなことも最初から出来たわけではない。字が綺麗なのも運動が得意なのもその物事に取り組み続けた結果、優れた能力が身についたのだ。それなのになんだ、過程の努力を台無しにするように『似たんだね』の一言で片づけられる。もうこんなのは嫌だ。  そして僕は小学生の途中辺りから「似たんだね」と言われる度にその長所を捨てていくことにした。
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