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部下のミスを補い、頭の固い上司の叱責に耐え、残業を終えた私は、ひどい疲労感を募らせながら家に帰ってきた。リビングの明かりをつけ、台所へ向かうと、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、ぐいっと一気にあおった。
ふと違和感をおぼえ、私は部屋を見まわした。そして、ある一点に視線が釘付けになる。
整理ダンスの上から、見慣れた日本人形がこちらを見つめていた。
私はぎょっとして、危うくペットボトルを落としかけた。仕事の疲れで幻覚を見ているのかと思ったが、何度目をこすっても景色は変わらない。
この人形は、確かに今朝、ごみ捨て場に捨ててきたはずだ。だというのに、どうして何事もなかったかのように部屋にいるのか。
私は喉元まで出かかった悲鳴を、必死に押しとどめた。
次の可燃ごみの収集日、私は布団を飛び出すと、寝間着のままごみ捨て場へと走った。前と同じように、人形の入ったごみ袋を捨てる。何度もそこに人形があるのを確認してから、私は家に戻った。
夜、仕事から戻ると、リビングの光景に目を疑った。
日本人形が、いつもの姿勢で、いつもの場所にいた。
私はカバンを落とし、床にへたり込む。
誰かがごみ袋をあさり、この人形を私の家に置きに来たのかもしれない。それはそれで、何者かが部屋に侵入していることになり看過できない問題であったが、怪奇現象よりはマシだろうと私は思った。科学的に説明がつくのだから。
私は人形を乱暴につかむと、家を出、近くの川へと走った。勢いをつけ、人形を川へと投げ捨てる。
人形は、戻ってきた。
震えが止まらなかった。まるで悪夢を見ているかのようだった。
いったい、どうすればいいんだ。声にならない悲鳴を上げる。
火をつけて燃やしてみた。近所の公園の隅に穴を掘り埋めてみた。
人形は、戻ってきた。
私は頭を抱えた。
藁にも縋る思いで、職場の同期に、知り合いだという坊さんを紹介してもらった。日本人形のお祓いをしてもらうためだ。生まれてこの方、まじないの力を信じたことなど一度もなかったが、もはやそんなことを言っている場合ではなかった。
――神様、どうかお願いです。この人形から私を解放してください。
淡々とした禿頭の坊さんの声を聴きながら、私は懸命に祈った。
人形は、戻ってきた。
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