温かい

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「幼馴染の髪の毛を洗うなんて、なんかすごく変な感じだな」  わたしはいま頭から鎖骨あたりまで、ローズマリーの匂いに包まれている。意識はローズマリーの雲の中、深いところまで沈んでいくようだ。幼馴染によって丁寧に扱われる髪は、普段自分で洗うときよりも言う事を聞いて、しなやかに動いている。そして、その10本の指がそれぞれどこに配置されているのかがわかるほどに、わたしの頭皮の感覚は研ぎ澄まされていた。クシュクシュクシュ、と細かい泡が楽しそうにぶつかり合う音が、耳元で聴こえる。体中の力を抜いて、重力をも忘れ、優しい指先に自分を委ねた。  頭上でシャワーの音がして、モコモコと膨れ上がった泡の塊は毛先から順に流された。額のラインを越えぬように、髪のすき間を縫って、ぬるま湯が流れていく。ふと、暖かい掌に後頭部を持ち上げられた。力加減をするときの筋肉の小さな震えを頭に感じながら、手も心も尽くしてもらうのは久しぶりだと思った。項の手前をシャワーヘッドがなぞっていった後、小さく震える大きな掌に後頭部を支えられながら、わたしの頭は元の位置に戻された。  ぬるま湯でローズマリーの世界を洗い流されると、また新たにひんやりしたクリームが揉み込まれた。頭の周りを覆う世界は、只管に明るいグレープフルーツに変わった。 「ここからヘッドスパね。寝てていいよ」  頭頂部からシューッとミストが噴出する音がして、項に熱いタオルが置かれた。頭をつかむ10本の指にじわり、じわりと力が込められる。男の人の指にしかない厚みと圧力で、頭蓋骨に付着した薄い筋肉を、首周りを支える凝り固まった筋肉を、融通の聞かない左脳を、高ぶっていた右脳を、そして右脳につながる心をも、ゆっくりゆっくりほぐしていく。血液と快楽が末端の細胞まで行き渡る。優しい指はわたしを散々ほぐしてまわり虜にした後、産毛に守られた耳のふちをたどって柔らかい耳たぶにたどり着いた。温かい指先がわたしの耳たぶを挟んでそっと圧力を加えた。次はどこにいくのだろうと期待していると、その指先は突然どこかへ消えてしまった。焦らされているような感覚だけがジンジンと耳たぶに残っていた。わたしは幼馴染のその指を、急に、とても惜しく思った。  待って、行かないで。  そう言いたくなったのを、思わず堪えた。
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