第二章

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その不安は私の何かが奪われてしまう恐怖の感情だ。 それは何なのか。 何を奪われるというのか。 それはきっと私が最も大切にしている私の"孤独"が奪われる恐怖であった。 私はそう感じていた。 私にとって大切な、何より大切な私の"孤独"をあの女は奪おうとしている。 一人ぼっちは寂しいとされている。 孤独はよくないこととして表現される。 しかしそれが人間の本当の自然な状態なのだと考えて何が悪いのだろう。 私は、いつも男とデートだと称して1人で映画を観に行き、彼氏に買ってもらったと称してブランド物のバックを見せびらかし、実は全部自分のカードで買っているだけの、同じ寮の隣室の重子が哀れで仕方なかった。 彼女はいつも事あるごとに友達がいるふりをし、自分は孤独じゃないんだというふりをしている。 別に大して親しくもない私ともただ隣に住んでいるというだけで一緒に買い物などに行くと、必ずゲーセンで一緒にプリクラを撮りたがる。 彼女はこの病院のあらゆる人間と一緒にプリクラを撮っているにもかかわらず、誰も彼女のことを友達だと思っていないということを知らないのだろうか。 そんな事は無い。 私は知っている。 私は見た。 人のプライバシーを覗き見る趣味は私にはないはずだが(本当は見たくてしょうがない)彼女はその自らの日記に、"自分がいかに誰にも相手にされていないか、そしてこの退屈な女の孤独など犬にでも食わせてしまいたい"と書いていた。 たまたま彼女の部屋に行った際、本人が不在の時に、つい机の上にあった彼女の日記を見てしまったのだ。 だけど彼女はそんなことを一切何とも思っていないように振る舞っていた。 勿論、私だって友達なんか数えるほどしかいない。 しかしそのことが私には寧ろなんとも快楽的であり、嬉しいことだった。 私などはそれ故にこうしていけしゃーしゃーと生き延びていられるのだと思っていた。 私は今、私のことを友達とか恋人だと認知しているであろう連中が本当は皆嫌いだった。 確かにとてもいい人たちだし、悪いところなどをそれほど思いつくことも無いのだが、それでも相手に対する評価と好き嫌いの感情は別だった。 それは善悪と好き嫌いが別な事とも似ているが、私は自分の感情をはっきり知っている。  嫌いだった。 だから重子のような悲しい虚しい芝居をする必要は一切なかった。 私は人をモノだと思っているように、自分もモノと思っていた。 そして、それとは別の自分が自分の中に存在して、その自分と付き合っていればもう誰も必要としなかった。 確かにあまり性格の良い人間ではなかったが、しかし周りにいる連中よりマシだと思っていた。 あのプリクラという機械を見るといつもぞっとした。 もう誰も心理的に精神的に気持ちを繋げることが出来ないから、ああやって「私たち友達ですよー」というイメージを生産して、それを無意識のうちに連帯とか友達の証明としている、嘲笑ってやりたい共感なき連帯。 300円で数枚ほどの小さな嘘丸出しの連帯=友情のイメージをそこら中に貼り、一生懸命それが嘘であることを忘れようとしている、そのことを奴らは絶対意識しようとしない。 友達ならそんなイメージなんかいらないはずじゃないか。 でも絶対に必要なのだろう。 しかしその必要性すら絶対意識したがらないあの連中。 いっそこんな連中の耳元で、毎晩その嘘丸出しの悲しみを、童話かおとぎ話のように聞かせてやりたかった。 なんでも、人間が寝る前にベッドに入っている時というのはスペシャルラボ(特別無条件同化暗示感受習性)といって、そこで思ったり考えたり知覚したことを潜在意識にまで知らしめられる、とかいうのを、何かの本で読んだ記憶がある。 本当か嘘か知らないが、実は前に入院していた世間でギャルとか言われてる女が生意気に入院してきた時に、私は夜な夜な彼女の耳元で、密かにその悲しいプリクラの虚しい嘘のシールの真実を毎晩気づかれないように聞かせてやった。 あの女はもう退院してしまったが、彼女が後にプリクラという機械を見るたびに嫌悪感を示しているようなら、あの本に書いてあった事は本当だということになるだろう。 私にとってプリクラが好きとか嫌いとかが問題なのではない。 この嘘くさい意識の忘却を平気でやっていられることが我慢ならないのだ。 それはそのギャルも、私の友達も同じことをしてる連中に過ぎなかった。 私の友人や周りへの嫌悪はそこにあるらしかった。 そしてそういう観点からなら、隣室の重子はまだ自分の無機能ぶり、自分の無意味さを本当は知っているだけマシな方だと思っていた。 その徒労とも思える擬態には少々痛ましいものがあったし、うんざりもしていたが、自分の鬱陶しさを自覚も出来ていない奴らよりはマシだと思っていた。 そして、その擬態は明らかに自己防衛的でしかなく、決して人に媚びていくような擬態ではなかったところが救いに見えた。 人間は少なからず、この私だって擬態を演じている。 ただその虚しさを意識できているかどうかが、私の価値観の基準なのかもしれない。 重子はそれが少々大げさなだけだ。 でも、大げさにすら意識もしないで、のうのうと日常で蔓延していられる連中などより、重子はまだ慎ましい女だ。 そうではない、あの厚かましき連中。 あの厚かましさは、きっと私の憧れなのだろう。 でもその厚かましさが我慢ならなかった。 特に特に、あの病人どもの厚かましさ! 別に私に無理を言ったり、泣き言を言ったり、迷惑をかけたりとか、そんなことを揶揄しているんじゃない。 お尻を触ってくる親父の手のひらのことを訴えたいのでもない。 そうではなく、その病人そのものが、何より比較を超えた怒りと嘲笑を私に味あわせる。 あの佇まい。 あの厚かましいほど病人でしかない、まるで毎日毎日「私は病人であるがゆえに病人である」という同語反復を繰り返し繰り返し私に浴びせかけてくるような厚かましい肉体。 その本当の病人そのものの姿が、なんともいえず厚かましい! 何がそんなに偉い? 何で毎日毎日、私に自慢してくるのか。 「足が痛い」 そうかよ! 嘘なら許してやる。 しかしその男は車に轢かれており、本当にかなりの打撲を足に受けており、心底痛いのだ。 真剣に足が痛いことをまるで皇帝の絶対的権利のように主張する病人ども。 その絶対的権利の前に、私はにべもなく敗北するしかない毎日。 別に彼らが、病人故の不機嫌やら、いたずらやら、病気に対する不平不満を訴えてくることが迷惑だなどと思ったことはない。 看護師の中にはこうした病人の態度が嫌で愚痴をこぼして回っている者もたまにいたが、私はそういう不満を心から持ったことがなかった。 そんなことに悩んでいる同僚は、気になるなら本人に言えばいい。 それだけだ。 そういう点についてなら、私は医師達にも婦長にも患者たちにも、文句言わず世話をしてくれる看護師として奇妙に信頼されていた。 しかし私にはあの厚かましい、本当に怪我をしている肉体の佇まいこそが、笑えると同時にどうにも憎悪すべきものだった。 「何でお前は怪我をしてるのか?」などと怒ることなど決して出来ない。 それに対しては「だって私は怪我をしたし、病気を患ったから」としか絶対に答えないはずなのだ。 それに対してどう反応すればいい? 「健康に注意しないからだ」とか「不注意だからだ」などと言えば、それは不健康や不注意に対して批判してるみたいだ。 私は不健康にも不注意にも何の恨みもない。 私が気に入らないのは、病人そのものだ。 その無垢な爛れた肉体性がきっと私を嫉妬させるのだろう。 その肉体の佇まいこそがきっと嫉妬させるのだ。 その肉体の絶対的権利への絶対の敗北こそ、私の苛立ちと憎しみを増長させているのだと、そんな事は私には分かり切っていた。 しかし分かり切っているとは言え、私はその憎むべき爛れた皇帝どもが徘徊する病人の巣窟から抜け出すことができなかった。 もはや私が生きている世界環境はここにしか存在しない気がするのだ。 それは職業意識の倫理観を顕しているのでもなければ、職を失う生活の困窮を気にするみみっちい現実的考えでもなかった。 そうではなく、私はこの絶対的権力を有した爛れた佇まいの肉体の廃墟に、憎しみと同等くらいの愛情すら持っているからかもしれない。 私は気がつくと、この人間が一人も存在しないような醜い皇帝たちの巣窟こそが、私がいつまでも独りで生きていられる、あの快楽的な孤独感を味わえる場所である気がしていたからだ。 他の職場では味わうことのできないものがここにはあった。 私にしてみれば、ここでの作業はきっと倉庫の配送手配の仕事と変わらないものかもしれなかった。 しかし荷物や梱包された箱ではいかにも味気ないだろう。 ここにはそれ以上のものがある。 それが私に憎悪と嫉妬を引き起こさせるわけだが、しかしそれも副作用的なものである気がしていた。 結局私は、ここが好きなのかもしれなかった。 私は結局、この爛れた肉体が権利を行使する醜い巣窟が好き。 しかし。 あの女が運び込まれてきたことで、私はその絶対性には限界があったことを知って… いや…見てしまったんだ! あのブラックホールが、この絶対的皇帝たちの権利の帝国を無効にして、そしてその貧しさのみを露呈させしまったのだ。 彼らは絶対的では無いのだ。 彼らを超えたものがある。 今ある。 きっと彼女が運び込まれてきた時、私が感じたあの高揚感はこの閉塞していた世界に一気に巨大な穴が何の前触れもなく開けられてしまったその開放感と爽快さ故だったのかもしれない。 私の心の中から、あの女への恐怖と嫉妬と愛情が消えないのは、きっとこうした理由によるものかもしれない。 と同時に、私の中で何かが大きく変化しているのが、まるで映画を見ているように理解できた。 私は今まであの絶対的な権利を持った皇帝たちへの敗北の諦念に基づいて行動してきたようなものだ。 つまり私の生活様式は完全に閉じられており、その中で私は、毎日毎日、まるで同じ日を生き直しているように生きてきた。 そのことにむかつき、怒り憎しみ、嫉妬しながらも、それでも私の擬態はそれで決定していたのだ。 私は人間ではない"ただのモノ"として、爛れた肉体どもの中を孤独に生き続けていただけだったのだ。 そしてそのことに様々な感情を持ってきたとは言え、その閉塞にこそ私の生きている理由があったのかもしれない。 あの醜い巣窟こそが私の生存証明とでも言えるものだったのかもしれない。 しかし今、私の中で胎動している、この奇妙な愛情と恐怖と快楽の入り混じった、あのブラックホールのような女への感情は、私に何かを突きつけてきている。 何なのか? それはわからない。 しかし私のあの素敵な閉塞、あの憎むべき閉塞は、もはや崩壊しつつあった。 それはどういう感情なのか、 つまりは、まるで自分の大事な孤独が、あの女=ブラックホールに吸い込まれるような感情とでも言えばいいのだろうか。 とにかく私は、あの女に"孤独"を奪われてしまうのかもしれない。 それが何を意味するのか、今の私にはわからなかった。 ただそのことが私の閉塞感を解放すると同時に、恐ろしい損失をもたらすことであるように感じられた。 あのブラックホールは私の全てを知っていて、私の孤独な膜に空いた穴でもあるように感じられるのだ。 その事には好感すら覚える。 しかしそのことが、まるで私という人間自体にとって、決定的なことであるように思えた。 そんな穴は、私のように小さな生活と小さな小市民をやって生きていればいいような人間の人生には、およそ必要のないものだとしか思えないのだ。 一体どれだけの人間がこんなブラックホールに出会うというのか。 それはごく限られた人間だけではないだろうか。 見てはいけないものを見てしまう。 その穴にどうしても吸い込まれてしまわざるを得ない。 しかも私は、その「無」そのもののような穴ぼこに入り込みたくてしょうがなかった。 その"無"の中で、私は自分の肉体も何もかも吸い込まれてしまいたい欲望を購い切れないでいるのだ。 こんな邪悪な欲望が自分の中に存在していたことに、私は怯えているだけなのかもしれなかった。 しかしそれは、決定的な損失を私自身に与えるものでもあるはずなのだ。 もう私は私ではなくなってしまうのではないか。 そんな邪悪な欲望を素直に受け入れたら、とにかく何か今まで感じたこともない恐怖にこの身を引き裂かれてしまうように感じるのだ。 私の"孤独"が奪われてしまうのだ。 私の孤独が奪われてしまう…………… 私は気がつくと病室の中にいた。 辺りは真っ暗で、病人たちもまるで死体のように静かにしていた。 こんな真夜中に私は、ただどうしようもない何かに突き動かされて、訳も分からずここまで来てしまった。 ただただ、私はこの暗闇に立ち尽くしているのだ。 そのことの意味など考えられない。 そのことの理由もわからない。 ただ…ただ……… この女だ。 この女が……! 私は初めてあの女の真正面に立った。 まるで神をも知らぬような虚無の前で、邪悪な欲望に体中を蝕まれながら、必死で自分の孤独な宇宙を手放したくないでいる醜い上に意地汚い女が感じられる。 それはこの女のことじゃない。 私のことだ。 私は意地汚い欲望と意地汚い独り占めの意識のみで成り立っているメスそのもののように感じられる。 これほどの自己嫌悪を感じた事はない。 ただ、もう私は必死だった。 この女に火をつけたのは言い訳がましいかもしれないが、無意識でしたことだった。 そう思いたかった。 私はただライターで火をつけ、そこに灯油をかけるという行為に徹しただけだった。 私の思いや考えやらとは無縁で行った行為だと思いたかった。 そういう意識がその場にあった。  それを私は知っていた。 その意識が嫌だった。 でも私は結局明らかに意識的に火をつけたのだ。 全て知っているのだ…。 女は、まるで薄汚い紙粘土のようにドロドロに溶けていった。 火はどんどん燃え上がり、赤々とした炎は何かを嘲笑している模様のように見えた。 私を嘲笑する模様のようにも見えたのだ。 火は知っている。 私の意地汚い欲望と、意地汚い独り占めの意識を。 女はどんどん溶けるように燃え上がり、その存在を崩壊させていった。 私の孤独は誰にも渡さない。 火は、その意地汚さをセセラ笑うようにパチパチという音をさせて、さらに燃え上がった。 火は呟いているのだ。 お前の貧しい孤独を、お前は意地汚く守っている。 お前はただそれだけの人間なのだ。 そのことを今知るがいい。 私は笑う権利がある。 この嘲笑いを聞くがいい。 これは誰でもなく、 ただお前を嘲笑う声なのだと………………… あの女は消滅した。 ただそこにはまるでゴミの残骸のような物だけが黒っぽく残っていた。 その残骸と骨が、私にまるでハロウィン祭のカボチャのように笑いかけていた。 私はしかしその笑い顔に笑われることにした。 私は笑われればいい。 それで済むならそれでいい。 周りで人の声がした。 それは聞き慣れた声であった。 しかしそんな事はどうでもよかった。 そんなものはどうでもよかったのだ! 私の体をつん裂いてしまったのは、それは彼らの視線であった。 彼らの瞳を初めて見たような気がした。 それはまるで… 人間を見つめる瞳であった。 人を見つめる瞳がそこにあった。 私はそんな瞳を初めて目にした。 彼らとはいつも会っているのに、私はその時初めて、彼らの瞳の存在を知ったのだ。 そしてそれは人間を見つめる、切なくて、悲しくて、軽蔑的で、感情的な瞳だった。 彼らは初めて私を人間として見たような瞳をしていた。 それまでのただの動く白衣の人形ではなく、人間として私を見つめているのだ。 その瞳が怖かった。 その嘲笑うような瞳は、さっき火が漏らした嘲笑の声の比ではなかった。 私を初めて独りの人間として見つめるその瞳は、やがて私を複数の視線で取り囲み、信じられないような恐怖を私に与え、私のあらゆる肉体と精神に食い込んできた。 その時気がついた。 "私も独りの人間だったのだ"と! しかしその恐怖が、私の全神経を引き裂いていく鈍い音が、内部のどこかで響き… 私は、  本当に、 人間では なくなった…
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