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3、喫茶店にて
「だからさぁ、もう元気出しなって」
正面から声がする。
それが聞こえる。
「彼氏が死んじゃってさぁ、そりゃまだ49日も過ぎてないわよ。だからそれをそう簡単に忘れろっていう方が酷なのかもしれないけどさ、でもさぁ、そんなにいつまでも深刻な顔して落ち込んでたってしょうがないじゃない。ね?あなたまで元気なくなってさぁ、どんどん落ち込んでもしょうがないよ、気持ちはわかるけどね…」
声は一旦途絶えた。
代わりにジュースを啜る貧乏くさいストローと唇が発する吸引力の音がする。
その音は別に私の頭上から鳴り響いている90年代の懐メロ、パフィの「これが私の生きる道」と同じ音として漂うように響いてきただけだ。
別にそんなに気に障る音でもないし、別に好きな音でもない。
そのもっと向こうの方からは、食器のガチャガチャ音が響いてくるし、今この喫茶店に入ってきたカップルの足音の方がもっと気になる。
男の方の靴はコインローファーだけど営業の仕事をしてるのか、ゴム底らしくてあんまり音が響かず、彼の足がそれほど靴の負担を受けていないのを感じさせてくれるが、連れの女の履いているハイヒールはピンヒールに近い踵の高いものらしく、地面のコンクリートの上にコツコツという、女の私から聞いても偉そうな響きをさせていて、その摩擦音が私を苛立たせるだけだ。
その音は、その素敵な彼氏と彼女が、他のどの連れよりも素敵な感じのカップルで
「ねぇちょっと疲れたしぃ、こんな冴えないところだけど、まぁお茶でもしようか」と語っていて、それがこの小さな空間の中でどれほど素晴らしい景観を周りの人間に与えているかを計算高く知っている。
それが周りの人間の嫉妬の感情に繋がり、それが自分の気持ちをどれだけ良くしてくれるかを呼吸するように知っている音である。
ついでにそのことが、今の日本の状況の中で、一番言葉にはされないけど幸福なことであり、それは文化人が言葉には絶対にせず相も変わらず「自分らしい生き方」だの「金銭や物に捉われない素敵な生き方」だの口にしておけば、日本人を全員丸め込めると未だに信じ込んでいる連中の予定調和なデタラメをいちいちその擬態によって覆しており、
「私たちみたいに無理なくお金を持っていて、無理なくこうして素敵なカップルを現実にやっていられる人間だけが幸せなのであって、そんなくだらない自分らしさや素敵な生き方はただの気休めに過ぎず、そういうことを私たちを前にして言ってみなさいよ」
とでも言っているに決まっているような音色がそこにはある。
しかもそれは極めて"自分たちは大した事ない当たり前のカップルに過ぎない"という謙虚さすら兼ね備えていて、周りの大したことない、それ以下にされてしまった私たちを嘲笑っているような音にも聞こえた。
勿論、こんな風に感じるのは、私の中に妬みの気持ちがあり、そりゃ私は要領の悪いクソ人生を生きていて、男にいつもうっとうしがられて結局わけもわからないままに男を殺してしまう気違いで、あんたなんかとは神様が与えてくれた天分が違うんだということを妬んでいるだけなのだが、それでは神様はどうして私にはこんな天分を与えて、あの糞のような女にはどうしてああいう天分を与えているのかという疑問には解答がなくて、私はその乖離ある隙間に苛立っているのだろう。
こういう時、人生相談の本や知的生き方の本眺めていると、
「自分の現在の状況を外的要因に求めてはいけない、それは結果であって原因ではない」
とか
「人を妬む気持ちをバネにして生きようとするのはいいが、人を妬む気持ちは益々自分を惨めにする」
「自分の中に幸福感を持ちなさい」
とか書いてあるけど、じゃあどうしてあの糞女はああいう結果を生んでいて、あの女だけどうして人を妬まなくてもいいようにあらかじめレールが引いてあって、自分の中に幸福感がある人は、ほとんどが状況が幸福だからそのまま幸福で、私だけどうして状況が悪いのに幸福な気持ちを持つなんていう空々しい気分で生きなくちゃいけないのか?とか思えてきて、でもきっとそんなこと言ったって私の頭が悪いだけで、なるようになってるんだ、とか自分を結局疑うしかなくて、そういう結論にもならない結論しか手に入れられないのだ。
それで私は今、自分が殺した男の元彼女の不幸な悲しみの演技を、あんまり何を考えてるのかもわからない、俗に言う友達の前で演じていて、その演技が成功してうまく同情を引いていることをまあ喜ぶしかない状況を作ることに必死になってるってだけだ。
その向こうでやっている、二人でイタリア旅行の思い出や結婚披露宴の相談をしているあの糞女の男の前での必死の演技を、私はそんな方向に使うしかない状況にいるってだけだ。
その時、私の頭上のスピーカーで、パフィは「うまくいってもダメになってもそれが私の生きる道」と歌っていた。
結局それだけのことなんだよな。
くだらない妬みもあの糞女の人生も、私の腐った人生も、私の生きる道でしかないのだろうな。
よおし、後でパフィのこの曲、スマホにダウンロードしておこうか。
もし警察に捕まって裁判になったら「これが私の生きる道」とか言ったらウケるだろうか?
もう今ではこの曲のことなんて、みんな覚えてないか…。
何も東大法学部を卒業して、司法試験の難関を乗り越えて、自分が今の日本の代表だと思い込んでいる裁判官のおっさんたちのウケなんか狙うこともないけれど、なんかそういうこと言ってやりたい気分だな。
言ってどうなるって?
私がまたバカにされるだけだけど。
目の前にいる、俗に言う友達の明子は結構哀れみの表情を作るのが上手い女だなと思った。
なんか本気で親身なっているような表情はあまり演技とも思えない。
でもこういう人は人の悲しみに同情することに、ある種の快感を得てるんだと思う。
ちょうど今私は、彼女のエクスタシーの表情を見せられているようなものだと思う。
人に同情するような悲しい話があんなにウケるっていうのは、人の不幸こそ自分の幸福だからに違いないだろう。
それに同情したり共感することで、自分をいい人だとか、心優しい人間なのだと思いたいだけなのだ。
私はテレビのお涙頂戴番組を見ているといつもそう思う。
自分が性格変わったわけでもないのに、その番組を見ている間だけ性格の良い優しい人間にでもなったような気分になれる。
勿論、テレビ局はそういう脳内麻薬というか、心的麻薬みたいな覚醒を番組の持つ魅力として計算しているのに違いないけれど、でも目の前で自分のことで、しかも嘘に、ここまでエクスタシーの表情で同情されるとなんだか人のオナニーを自分が大股開いてやらせてやってるような気分にもなってくる。
あんた、何でそんなに同情するの?
人のことじゃないの。
あんたなんか痛くも痒くもないじゃないか。
そんなにエクスタシーに浸りたかったら、本当にイカせてやろうか。
イクまでお涙頂戴話の嘘ついてやろうか。
そういう気分になってくる。
「私ね、実はあの人とは密かに婚約してたの」
本当は私が勝手に婚約したとかって自分の親に言ったことを物凄く嫌な顔で咎められただけだ。
「勝手に嘘つくなよ」って。
「へえ、そこまで行ってたのにあんなことに…」
「だからね…あなたは簡単に言うけど…私の中では…」
最後まではっきり言わないで、感極まってもう口では言えないって表現が効果的な気がした。
「悪かった!私は別に簡単に言ったつもりじゃ…。あなたを勇気づけようとしてそう言っただけよ。御免ね。御免ね」
二回御免を言うところが本当に悪いと思っているらしい気持ちを表している。
「いいのよ…。そんなのわかってるわよ。御免、私も言い過ぎた。ちょっと感情的になっただけよ。御免なさい。でも、私たち結婚するはずだったの。だからね…」
「もうわかった。御免なさい!私が言い過ぎたのよ。そうよね。人ごとだと思って、私、デリカシーがなかったわ。そんな簡単に忘れられるわけないわよね。愛していたのにね…。グスン…凄い可哀想!」
彼女はとうとう泣き出した。
1回目、軽くイっちゃったってところだろうか。
私は少しおかしくなってきたが、こんなところで笑ってる顔なんか見られちゃまずいと思って少し俯いた。
彼女はしばらく声を出して泣いていたが、それは前に韓流の恋愛ドラマを見た後にしていた顔と全く同じ表情だった。
その後確か、彼女オススメのパスタ屋さんで大して美味しくもないカルボナーラを一緒に食べたが、彼女は同じ顔をして麺を啜っていたけど、その時の顔もこんな顔だった。
私はこの女のイク時の顔をいつも見せられているような気分になって、なんだかとても卑猥な気持ちになってきたが、自分がまるで露出狂の女と付き合っている殺人鬼の女にも思えてきて「類は類を呼ぶ」って諺の存在にドキリとした。
そして自分たち二人が向かい合って座っているこの空間が、とてもおぞましくて醜いもののように思えてきて、私の目の錯覚だと思うけど、彼女が泣いて涙を流す度にその肌がボロボロに取れてきて、凄く気持ち悪い顔になっていくような妄想に囚われた。
昔見たクローネンバーグの映画の中の、頭が吹っ飛ぶ奴みたいに、彼女がグチャグチャになっていき、私が元々同じグチャグチャの顔をしていて、今その二人が向かい合っているような気分になってきた。
私が凄く辛そうな顔をすると、彼女はまた「わかる、わかるよ」と言いながら泣いてくれたが、もうスプラッタ映画に出ているような気分だった。
どういうわけか私の頭の中で、その時、二匹の赤い金魚が共食いしながら血まみれになって水槽の中を泳いでいて、凄い悪臭が広がっていく訳のわからないイメージが渦巻いていた。
私はいつもそうだ。
気持ち悪くなってくると、さらに気持ちの悪いイメージを想像して、吐きそうになってしまう。
私は凄く気持ち悪くなって、さっきの糞女の声なんかとうに聞こえなくなっていて、急いでトイレに駆け込んで吐いた。
まるで自分の内臓を食べてみたら気持ち悪くなったような気分だ。
そうとしか言いようがなかった。
彼女の気持ち悪さは私の気持ち悪さそのもので、私が気持ちが悪いのはきっと彼女の中に私の気持ち悪さを発見してしまったからだ。
私は吐いたゲロまで、彼女の顔や私の顔に見えてきてもう一度吐いた。
しばらくして私は自分のゲロを冷静に見つめようとしていた。
こんなことに何を必死になっているのか本当にアホみたいだった。
私のゲロはただ気持ち悪いだけだった。
そのことが私を少しホッとさせた。
ゲロは元々気持ち悪いものだから、気持ち悪いと感じて当然だ。
私がゲロを凝視して洗面所の前で立っていると、横の入口から入ってきた女が私を気持ち悪そうな顔で見ていたが、その顔も気持ちよかった。
トイレでゲロを見つめて立っている女なんか気持ち悪い女に決まっているからだ。
私は少し笑顔を取り戻し、その女が横に来た時ニタリと笑った。
当然女はビビったみたいに"気持ち悪い"って顔をしたが、そういう時こそ私はいつも気分爽快だった。
トイレを出て、自分の席に戻ると明子はまだグズグズやっていたが、でもそんなのはホテルでセックスの後、パンティも履かないでベッドに寝転がっているズボラな女ってだけだったので気持ち悪くならなかった。
私は性欲が無くなった後の男みたいな顔をして、レシートを持って店を出ようと明子を促した。
彼女は男に従うみたいに私に従った。
いつもは割り勘だけど、どういうわけか私は男みたいな気分で勘定を持った。
外へ出て、歩きながら私は女をヤッた後の男の気分っていうのはこんなに退屈でサバサバしたもので、連れの女にこんなに魅力も何も感じないものなのかということを知って、前に隆がホテルの帰りに手を繋ごうとする私を「格好悪いよ」と拒んだ時の気持ちを想像した。
私はあの時、いかにも気持ちの悪い女だった。
まるでセックスが終わった後、また自分のアソコで男にヌルヌルと絡みついていこうとする気持ちの悪い軟体動物みたいだったと知った。
こんな気持ちの悪いことしてたなんて…。
私は明子がまだグズグズしながら目を真っ赤にしている姿を、浜辺にいる訳のわからない気持ちの悪い軟体動物を見るような目で見た。
そしてかっての自分の気持ち悪さを思い知った。
私が隆を殺した理由も、実をいうとはっきりわからなかったが、本当は自分の気持ち悪さをこの男といるといつも感じなくちゃいけないことから逃げ出したかったんだと気がついた。
自分が気持ちが悪い生き物だから相手を殺す。
酷いことする女だ。
でも私が気持ちが悪いのは結局"私"なのだけど、それがいつも相手に対する強烈な敵意か、相手の気持ち悪さとして、私の前に現れてしまうのだ。
私の気持ち悪さって普段は全然感じない。
わからないだけにいざそれを知った時、自分の空恐ろしい気持ち悪さが、つき合っている男や友達という同類の中に見えてしまうのだと思う。
信号待ちをしながら、明子と別れた私は一人向こう側にいる大勢の人たちを見ていたが、頭の中ではまるで神様みたいな人が「類は類を呼ぶ」と嘲笑いながら私を笑っているように感じた。
私はそのことに無性に腹が立ってきて、信号を渡る時、対抗側から来る人たちを片っ端から睨みつけていた。
向こうから来る人々は私を避けるように通り過ぎていった。
そしてふとすれ違いざまに会った若い男の目には、明らかに「他人の目」があった。
とても正常な他人の目。
何も裁断しない他人の目。
冷たいとも暖かいとも言えない、強いて言えば適温の他人の目。
そんな計ったような適温を持っている目なんてある?
でもすれ違いざまに見た他人の目の適温ぶりには間違いがなかった。
何も語っていない目の色だった。
でもそれを見てしまうと、私は自分の気持ち悪さに気持ち悪がるんじゃなくて、情けなくて死にそうになってしまう。
そしてとても悲しくなる。
信号を渡ったところで私は
「お願いします。誰か助けてください」
と声をふるわせて泣きながら呟いていた。
泣いているって言ったって軽くだから、それは他人にはわからないだろう。
でもそんな他人が私は恋をしそうなほど愛おしかった。
あの他人の適温の視線で、私に何も言わないで、ただ守って欲しかった。
私にとって都会の雑踏ほど安息の場所は、どこにもなかった。
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