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5、生活にて
私がいつも腹が立っているような生活になってしまったのはいつからだろうか。
もうその境界線はいつも曖昧で、またその境界線がどこなのか知りたくもなかった。
私は死体を殺してやりたい気分と言えばいいんだろうか、毎日そんな気持ちで生きていた。
隆の死体もナイフで何回も刺したばかりだったのに、死体を見ているだけでムカムカしてきて、まさに死体を殺したかった。
後悔なんかしていなかった。
これっぽっちも。
寧ろこんな時に後悔しろなんて言う奴がいたら、絶対に突き止めてでも殺してやりたかった。
私は死体をもっと殺したかった。
何で後悔なんかするんだ?
後悔するぐらいならこんな面倒臭いことをするか。
私を死体を殺してやりたいと、本気であの時思っていて、倒れている隆の死体を何回も刺した。
テレビでやってたニュースによると、100カ所以上刺し傷があったらしい。
その上私は隆の髪の毛に火をつけた。
だから彼の髪の毛と顔半分は焼け爛れていた。
何でそんなことをしたのか。
だって笑いたかったから。
このままじゃ笑いでもしなきゃ、死体を殺す行為をいつまでも止めることができない。
そういう冷静な思考がしばらくして生まれたから。
笑えるまで死体を殺さなければならない。
だからとにかく"私が笑えるまで死体を殺さなければならない"
そう言い聞かせて死体を殺した。
火をつけたら、この屍が燃え上がって面白いのではないかと考えた。
そうすれば、こんなことを止められる。
私はライターをポケットから取り出して、隆の頭に火をつけて、それが燃え上がっていくのを見て、大袈裟に笑おうとした。
必死で笑おうとした。
そうしなきゃ、いつまでもやってなきゃならない。
だから私は泣きながら笑った。
笑うということが感情から来る行為ではないような種類の笑い方をした。
まるで物質的な笑い方をした。
顔の表情と口元だけが笑う、記号的な形を形成しているだけの、物質的かつ記号的な笑い方を必死でした。
どうか自分の感情にこの笑いが届いて欲しかった。
私は涙を流しながら目を瞑って笑った……
少し本当に可笑しくなった。
やったと思った。
本当に可笑しくなってきた。
隆の頭の毛と爛れた肉片が男の股間の陰毛のように見えて、
「おいおいこんなとこで出すなよ」
って気分になってかなり笑えた。
すると少し死体を殺したい気分も治まって、さらに冷静になれた。
そして自分の衣服や手を見た時、さらに冷静になれた。
私の手足は真っ赤だったから。
まるで変態みたいに真っ赤だった。
笑えた。
ただもう本当に可笑しくなって、自分の頭がおかしくなったのかと思うほど可笑しかった。
と同時に心の中に少し安心感が広がっていった。
もう死体を殺すなんていう自分でもよくわからないことをしなくてもいい。
そういう安心感が自分の中にどんどん広がっていった。
周りに人は全くいなかった。
そんなことも確認出来たほどだ。
私はそのまま海の中に入って、血を洗い流すように泳ぎ回った。
とても寒かったが、でも何かすごく開放的な気分だった。
こんな時、浮き輪のひとつかゴムボートでも持ってきていれば、ずっと海の上でのんびりしたかった。
もう11月だというのにその日は天気も良かった。
私はとても気持ちよく海の中で泳ぎ回った。
このまま本当はずっと泳いでいたかった。
私はまるで今ここでこうやって自由に泳ぎ回ることだけが楽しみの生き物みたいだった。
11月のくそ寒い海で、独りでこうやってはしゃいで泳いでいることだけが、私に許された自由なのだろうか?
でも感情は正直に、私にイエスと囁いていた。
何日かして、隆の死体が発見され、ニュースで殺人事件として報道された。
その殺され方から私は容疑者のリストから外されていた。
警察は集団リンチによる複数の犯人による犯行と見ていた。
身体に100カ所以上も刺し傷があり、またあちこちに蹴飛ばされて打撲の痕があり、その上、顔と髪の毛を焼かれていたんじゃリンチ殺人だと思うだろう。
それに隆はよく海に一人で行くのが好きなんていうロマンチックな趣味があったから、そんなところで感傷に浸っていてリンチに遭ったのではないかという見方が強かった。
私も警察に呼ばれたが、映画を一緒に観た後別れたことと、隆が海に行くと言っていたことを証言した。
私にはアリバイがあった。
私の家には病気で寝込んでいる母がいて、私は前もって時計を2時間遅らせておき、隆を殺した時間には母親と一緒に居たかのように工作していた。
警察に呼ばれた時、私は映画を観た後、隆と別れて、家に帰って母と一緒に居たと証言し、ほとんど昼間は寝たきりの母の部屋に入ったのがほぼ犯行時刻近くで、母はその時、時計を見ていたので、何の隠し事もなく私が部屋に居たことを証明してくれた。
母は正直に証言しただけだから刑事も信用した。
それに死体の様子から刑事はあらかじめ私など疑っていなかった。
本来は母親という身内の証言は正式な証言にはならないのだが、あんな殺し方を女1人が出来るわけないと踏んだのだろう、刑事は本当に参考程度に私の事情聴取をしただけで、30分も私は警察にいなかった。
そしてその後、私のところに警察は来なかった。
母も私のことなど微塵も疑っていなかった。
ほとんどの知人、友人は私に同情的で、私は大袈裟にならないように、この間、明子をイカせてやった時みたいな演技をした。
この演技に関しては私は正真正銘、神に誓って後ろめたくなかった。
それはただ演技の種類が違うだけで、私はいつも生活の全てが元々演技だったから。
別にいつもと違うことをしているのではなく、ただちょっといつもとは違う種類の演技をしているだけで、何か質的に変わったことを強制されてやっているわけではなかったからだ。
ただの日常的な仕草を少しやり方を変えて演じていただけのこと。
その事は私には本当に自然なことだった。
これが人間の生活、営みだと思っていた。
私はいつも面白くもない話を笑う時みたいに、言いたくない冗談を言う時みたいに、打ちたくない相槌を打つ時みたいに、悲しい顔をしたり、それに耐えて平気ぶってる顔をしたり、同情を引きそうな隆との待っていた幸福の話をしたり、少し泣いたり、落ち込んだフリをしていたが、それは何という事は無い、日常的な行為の連続に過ぎなかった。
私はこういうことだけうまくやる。
自分らしくないことをやらせたら何でもうまくいくような気がしていた。
でも肝心の自分の本心からの行動は、自分らしい自分が出てくるほど必ずうまくいかない。
やりたくない事は何でもうまくいくのに、やりたい事や望んでいる事は絶対に封印され、敗北する人生の連続だ。
自分らしくないことが私にとって自分らしいことなんだったら、私の人生は地獄だ。
最低の冷静さすら失ってしまう。
でも地獄だけど、現実は。
そうなったら私は血まみれの殺人鬼になって皆の前に放り出されて、射殺されて終わりだという気がしていた。
それは嫌だった。
今更カッコつけるわけじゃないけど、凄く嫌だった。
私はいつもしおらしくしていたかった。
私はこういう芝居が好きなのかもしれなかった。
それじゃあこういう胸糞悪い毎日が"私らしい"ってことなんだろうか。
そのことを考えるとうんざりした。
絶対にそれ以上煎じ詰めて考えたくなかった。
こんなのが本当の私なの?
それを認めたくない。
私はこんな自分が気持ち悪くて仕方なかったけど、こんな自分を止めたら最悪の自分がさらにやってくる気がして、もう本当にたまらなかった。
本当の自分なんかどうでもいいことにした。
頭の中で何度もそんな自分はどうでもいいと思おうとして、しかしいつも感情が私に悪魔の囁きみたいにどれが本当の自分なのか教えてくれた。
私の感情には声があった。
いつもそういう声が聞こえてくる。
隆を殺した時も、その声と格闘していていつの間にか殺してしまったという感じだった。
いつも私の声が勝ってしまう。
私は、私の感情の声に全く勝てない。
自分でも誰が喋ってるのかわからないモノローグが心の中でこだましていて、いつの間にかああいうことになってしまう。
しかし私の脳の中にはちゃんと今行った行為に対する認識がはっきりインプットされていて、私は無意識のうちに知らずに相手を殺したり傷つけたりしたのではないことがハッキリしてしまっている。
第一これは計画的犯行だ。
そんなわけは絶対にないことは自分でよく知っている。
だから私は自分のやっていることにも、自分が抱いている感情にも、まるで他人みたいな認識しか持てないくせに、それは全て私の脳が考えてることであり、私の心の感情でしかないという薄気味悪い気分を味わうだけだった。
自分で考え、自分で感じたことが、他人が考えたり他人が感じたりしたことみたいなのに、それが全て最後はいつも自分に押し付けられるというような感じだ。
じゃあ、それと対話したり抵抗したり怯えている、今喋っている私は何なのか。
これが本当の自分というものかもしれなかったが、この私は恐ろしく弱い。
ただただペシミスティックで、ただただ情けなくて、ただただしおらしくて、ただただ人のいい女で、そんな自分がとても嫌だと同時に、絶望的に情けないと思う。
そしていつもこの絶望を笑われている気がする。
私の感情の声はそう囁く。
私をいつも嘲笑する。
この誰かに笑われているような自分こそが現実の自分の姿らしかった。
だからいつも私は人に嫌われているし、バカにされているし、いいように利用されているけど、彼ら彼女らがどうして私をバカにしたり嫌ったり利用しようとしているのか、その声も実は聞こえていた。
隆なんかつき合い始めた頃から私には彼の声が聞こえていた。
"この女は人のいい女で、頼めば何でもやってくれるし、お金だって平気で使ってくれるだろう。なんというカモなんだ。それに俺のことが好きらしい。俺みたいなタイプに大概の女は好感を持つが、それは俺の演出によるものだってことをこいつらは知らない。(わかってたよ、そんなもん)
だからいつもの調子で明るく振る舞って適当にやればいい。
大丈夫、この女はいける。
この女の扱い方についてはそれほど手間はかからない。"
私はずっとそういう声を聞いてきたような気がする。
そういう声を聞いていたにもかかわらず、いつも彼の手の内から出ずにいた。
そこから出た時、この人に棄てられると思っていたから。
こうやって騙されているうちこそが、私が世間で普通の女の子として、恵まれたイメージで捉えてもらえる瞬間だと思っていたから。
バカ女と言われたかった。
前にいい年してプリクラを隆と撮ったが、その時の妙に浮かれたポーズをしている自分の演技はあまりうまくいってなくて、写真は真実を写すと言うが、そこには本当におぞましい顔の、イケてない、薄気味悪いくせに妙におどけている女が映っていた。
こんな顔、隆にとても見せられなかったけど「これイケてないから撮り直そう」とは言えなかった。
もし撮り直してまた同じ顔だったらもう言い訳できない。
私はこいつの声を聞いて知ってるんだ。
そのみっともない顔こそお前の本当の顔だという隆の声を。
だから私は何にも気にしていないふりをして、出てきたプリクラをさっさとカバンにしまった。
家に帰って、隆のその屈託のない笑顔に死ぬほど嫉妬した。
あの男は私をハナから見下して人間以下としか思っていない男なのに、どうしてこんなに素晴らしく自然で屈託のない笑顔でポーズを決められるのか。
私のプリクラを持って、鏡の前で隆の顔を真似て、その屈託のなさの練習を30分ぐらいやってみたが、こんなことをやっていること自体が最も屈託のあることだと今更気づいてさっさとやめた。
何が恥ずかしかったかって、そんな当たり前のことに30分も気がつかずに、鏡の前で練習している自分の頭の悪さほど恥ずかしいものはなかった。
そう気づいた後、私の視界に入ってきたプリクラの私の表情は、前よりもさらに薄気味悪い表情に見えてきた。
私はそれをベッドに潜り込んだまま徹夜で見つめて、どうしたらいいのか、何も考えていないのに考えてるふりみたいなことをした。
頭の中が空っぽなのに、考えてるつもりみたいな感じだろうか。
そんな脳みそに何も詰まってないみたいな自分も嫌だった。
そしてこんな私だからこそ、私は世間の人間の薄気味悪い声と、その自然で屈託のない表情の美しさに嫉妬し続けていた。
隆なんか殺しても"自然"だった。
当たり前のことが私には当たり前じゃない。
せめて今まで屈託のない自然な笑顔を、あんな空恐ろしい声を発しながらやってきたんだから、死んだ時くらいは不自然で歪んだ表情をして欲しかった。
なのにあの男は死んでからも普通の死に顔をしてやがった!
死んでもこいつは屈託のない死に顔だった。
この時私は死体を殺したくなった。
つまり私がこのままだと死んでも醜いということを、彼の普通の死に顔は教えてくれただけだからだ。
私にはこれがどうしても許せなかった。
死んでまで"自然"である事を破壊するために、私は死体を殺すことにした。
隆の顔を何度もナイフで刺して、不自然極まりない顔にしてやった。
浮き上がってきた眼球を取り出し、横にねじ曲げてやった。
まるで死体の顔に、修学旅行で寝ている人によくする、顔への落書きみたいなことをした。
その後それでも、私には死体が自然に見えた。
もっと嘘くさい死体にしたかった。
髪の毛に火をつけたのは笑えないとこのまま死体を殺すことを止められないと思ってしたことだったが、それともう一つ、ただただ死体を不自然にしたかったからだ。
それはどういうことなのか?
つまり「私と同じ」にしたかったのだ。
私が普段から死体を殺したい気分で生きているというのはこういうことだった。
私の不自然さを多くの人々に味わわせてやりたい。
でもそんな欲望が通底していないことなど自分がよく一番よくわかっていたし、何で屈託なく自然に生きてる人たちが歪なものを理解しなくちゃならないのかという当たり前のことだって私にはわかってるつもりだった。
しかし感情的にはそれは恐ろしくらい苛立たしいことでしかなかった。
何故なら、私には多くの人々はあらかじめ屈託なく生きているように感じていたからだ。
もしくはそうばかりでは無いかもしれないし、そんなはずもあり得るはずはなかったとも言えるが、多くの人々は自分が可哀想だと思い込むことで、あらゆることから逃げられるのではないかと思った。
そんな事はとても薄汚いことにしか思えないのに、人間たちにとってはそれが自然なのが許せない。
「悲しい」と言えば済むのかもしれなかった。
勿論、状況はきっと変わらないだろう。
でも自分を悲劇のヒロインやヒーローだと思い込む厚かましさの側で生きていればよかった。
可哀想だと自分で自分を慰めていれば良いのではないか。
酷いのになると、自分がしでかした不始末を人のせいにしたり、自分が可哀想だと訴えることで自分の責任を回避するあつかましい上に薄汚い連中だっているが、そういう薄汚いお涙頂戴話が我慢ならなかった。
それが人間にとって、普通のことだというのが死ぬほど嫌だった。
そんな腐った連中と一緒にして欲しくなかった。
私は生まれてこの方、一回だってお涙頂戴話なんかしたつもりはない。
しかしあまりにも情けなく生きてきてしまっただけだ。
どれだけ自分の中に原因を探っても結果はこんなザマだってだけだ。
私が全部悪いのはわかってる。
時代のせいでも、周りのクソ女や薄汚い連中や金ばかりかき集めて喜んでいるお役所のおじさんのせいでも、日本っていうバカみたいなシステムの国のせいでも、残酷な声で私を見下してる屈託のない自然に生きている人間たちの声でもなかった。
こんな人間が全て悪いに決まっている。
神様はいつか助けてくれるかもしれないけど、今は全然何もしてくれない。
それも私のせいらしい。
神に見放されたことの責任も全て私にあるのだ。
そんなことわかってる。
わかってんだ、そんなこと。
私はしかし、その可哀想ぶってるバカの声も、自分のみっともなさを語る声も、三人目の誰かがいつも笑っているような声も同時に聞いていた。
何か火山の溶岩がプスプス言っているような漏れる笑い声が、いつも自分の中にこだまするのだ。
これは何だ!
何が可笑しい?!
神様が笑っているんだと思っていたが、その笑い声は私の笑い声だった。
もう私も、私が怒りを感じる対象も、この笑い声はとにかく可笑しくてしょうがないようで、それもご丁寧にも気を遣って、大笑いするのを抑えている忍び笑いなのだ。
それも私の笑い声で。
私はこの笑い声に腹が立って腹が立って仕方がなかったが、この笑いがどこから来るものなのか皆目見当がつかなかった。
物凄く嫌味たらしいじゃないか、何だ、この気を遣った抑えた忍び笑いは。
自己正当性なんか生まれてこの方一度もなかったけど、自己悪徳性とでもいうものはどんどん膨れ上がっていく。
この笑い声は私に罪悪感だけを植え付けてくるようだ。
本当に嫌だ。
でも、いつまでもこんな死体が殺したいなんていう刹那的で、ただただバカみたいな気分でいたくなかった。
そんな生活も嫌だった。
この笑い声も嫌だ。
生活全てを捨ててしまいたかった。
簡単なことだった。
自殺すればいいだけだ。
私は誰かに笑われながら死ぬことにした。
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