6、自殺にて

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夢でも見ているんだろうか。 はっきりした意識の中で、奇妙な声が聞こえてくる… それは私の声だ。 何だ? つまらない夢でも見てるのか? 自殺に失敗して気絶して自分は眠ってでもいるのか? しかし妙に意識がはっきりしている。 夢は何回も見たことがあるがこんな感じじゃない。 私の名前は…島田優子。 はっきりわかる。 今、自分が自分に答えた。 これは誰の声なのか? 私の声だ。 しかし私が意識して喋っているのではなく、どこか外部から響いてくる声だ。 心とも関係ないような… 私の心から声がするなら今まで聞こえてきたあの例の、人を殺す時に聞こえる声が、あの声がするはずだ… だが今、それとは全く違う自分の声がする。 どこから? 外から?…… あの内なる奇妙な笑い声はもう聞こえなかった。 私はこうなる寸前の、意識が普通にあった時まで、何がおかしいんだか、ずっと笑っていた記憶があるが、ハモっていた笑い声はもう聞こえない… そして今目の前には、これを視界というのかどうかわからないが… まるで意味不明の土地のようなものが、今目の前に漠然と広がっていた。 幻覚ってこういうものか。 よく映画とかに出てくる、例えばヒッチコックの映画「白い恐怖」でサルバドール・ダリが創造したあの潜在意識の恐怖のイメージ。 その本物が今私の目の前に姿を表してるということなのだろうか…… 私は自分が悲惨でも可哀想でもない、ただ退屈な糞のような人生をやって、ゴミにもなるべきだと考えて首を吊ったことも、それまでのくだらない数々のことの記憶も全部記憶装置にワンセット存在している。 こうなるまで笑いまくっていたこともよく覚えている。 ここは何処? 私は誰? そんな白々しい、知ってるくせに… ここは意味不明の土地。 見た事は無いけど、ものすごくありきたりでつまらない、どこかの町内の一角。 私は島田優子。 あまりにも何もかも明白なのである… まるで誰かがいい加減に設置した防犯用のビデオカメラのモニター映像を延々見張らされてるような気分だった。 しかも私にはそれ以外には視界が全く存在しない。 コンビニとかによくある防犯カメラのモニターを何時間も延々とそれだけを見ていられる人っているのだろうか。 しかし私が今やってる事はまさにそれだった。 自分がどういう状態で、どうなっているのか全くわからない。 ただ私の目の前には何の変哲もない、無空間と言えばいいのか、何もない"ただの風景"が広がっているだけである… もう10時間以上見続けているような気がしている。 私の記憶も頭の思考回路にも別段変わったところがないような気がしているのだが、ただ視界には、ありきたりで全く何の変化もない風景だけがあり、自分がどうなっていて何をやってるのかもわからなかった…。 これってひょっとして植物人間状態?? それにしてもこの風景はなんだ? それがさっぱりわからないのだ。 かって行ったことがある場所か、または自分の住んでいる土地だろうか。 全く思い出せない。 そんな記憶は一切なかった。 これがもしかして、死後の世界? それじゃあこの明白な意識と思考の運動と奇妙な外からの声は何なのだ? そして私は一切声なんか発していない感じだ。 ただ脳内で起こる思考の声とでもいうものに外の声が反応することがあるだけだ…… 私は退屈な人生で人を殺して、皆に馬鹿にされて、馬鹿なことばかりしてゴミにでもなればいいと思って、生存証明も残さず首を吊り、そして、さらに退屈な場所と時間へと来てしまったみたいだ。 もう何度も頭の中で、退屈だ、退屈だと叫びまくっている!!!! しかし首を吊ってからどう考えても10日は経っているように感じられる今、これはまさに退屈という地獄だった。 私の人生は楽しいことが一つもなく、退屈なだけの人生だったが、まさかこんな退屈な拷問のような時空があったことに引き裂かれそうになりながら、ただひたすら驚くことしかもう出来なくなっていた…… これが夢というものなのか? ただ目の前には240時間以上も何の変哲もない視界が広がっていて、私はそれを眠ることも許されず、約240時間以上眺めていることになる… 眠ることが許されないなんて誰かの捕虜になって捕まっているならまだいい。 人のせいにして自分を捕虜にした相手を恨む暇つぶしが出来る。 しかし自分が眠くないから眠れない場合、どうすればいいのだろう。 私は全く眠くない。 おまけに目を閉じることも出来ない。 誰か、ここが幻想の迷宮だとか、植物人間になった人間の世界だとか、死後の世界だとか、いったいここが何なのか教えてください!!!!!! 私は何かおかしな事でも考えて気が狂ってしまいたかった。 そうすれば無意識状態になって、ただ気持ちが良いのではないか。 トリップというのあるじゃない。 薬とかやるとなるやつ。 そういう状態にものすごく今憧れている。 だいたいあの笑い声はどうしてもう聞こえてこないのか? あの、世界や私の全てを教えてくれていた笑い声が聞こえない…… それに何でこんなに頭が働いて、視界が鮮明なのか…… そんなことがとにかく嫌でたまらない。 誰か、私に麻薬を注射してください。 私はどこかのヤクザのおっさんをイメージして、そのおっさんに麻薬を打たれている夢を見ようと必死でイメージングを繰り返したが、映像的イメージングは全く不可能だった… ただ視界には、 もう見たくないよ! あの退屈で忌々しい、一体何が楽しいのか全然わからない、何もない壊れかけた家があって、その周辺の感じがちょっと見える風景しかない! ない! ないんだ!!??…… もういい加減にしてくれ。 私が何をしたというの? コンビニや警備員のバイトをしている人が眠りもせずに防犯カメラのモニターを10日間近くもそれだけを見続けているなんて話は絶対聞いたことがない!! それに何で眠くないの! 馬鹿野郎!!…… ただただ、怒りの感情だけが爆発した。 今の私には感情や思考とか、目に見えないものだけが手に取るように分かるだけになっている。 それ以外のものがさっぱりわからないのだ。 ただこれが死の世界かと思うと本当に死ぬほどゾッとした。 こんな退屈なことを一体どこまでいつまでやっていればいいのか。 死ぬほど退屈って言ったって、これが死後の世界ならもう自分はとっくに死んでるんだし… とにかく終わりは無い! そういう想像はやめようと思った。 気が滅入るだけでは済まない。 絶望するだけでは済まない。(絶望したら死ねばいいんだが、もうそれも出来ない!死んでるなら) 神様に祈ってもどうにもならない。(死者が神に祈りを捧げるってどういうものだろうか、あり得るのか?) もしこれが死後の世界なら…… これが死後の世界なのか、それとも植物人間になった者の意識の世界なのか、とにかくそのことだけが知りたかった。 こんなに長い間、自分が今どういう状況にいるのかがわからないなんてのはとても耐えられない。 私の人生は主観的には不幸だった、と思う。 しかし今私が立ち会っているのは、そうした心理的な逆境とは次元を異にした、なんとも表現し難い地獄である。 目の前にもう何時間も広がっている全く動きのない一枚の風景写真のような風景。(それも随分おかしな表現だが、そう言わざるを得ない) それを前にして、私は自分の肉体も何も、現実的世界で目に見えたものを何一つ見ることが出来ず、ただ思考や感情や心理が手に取るように目の前に膨れ上がってきているように感じている。 勿論、それとて目にすることは出来ない。 しかしもはや肉体の感覚は全くと言っていいほど存在していなかった。 何も肉体的な事を感じなかったのだ。 痛いとか痒いとか、気分が悪いとか良いとか、そういう問題が見事に私の中から消えているとしか思えなかった。 私はただ切迫した心理状態を両手いっぱいに抱え込んで、今にも溢れてしまいそうなのを必死で食い止めているような感じだ。 切迫した心理というものが、まるで肉体的な痛みのように感じられた。 神経性胃炎というものもあるが、それは医者という第三者に分析されるまで、それが肉体的欠陥なのか、精神的疾患なのか自分では理解出来ないが、これはそういうのとも違っていた。 明らかに肉体が消えてしまっている(私)がその唯物化したかのような切迫した心理を、かっての肉体的痛みのように感じているというものである。 私にはまるで絵に描いたように自分の心理が見えるように感じられた。 そしてその時私は、ある一つの発見をしたのだ。 つまり私は、"心理ではない"ということである。 今私は心理をまるで物のように見ている。 それは私の一つの機能であって、何も私を代表もしなければ、私の全体でもなかった。 心がまるで心臓の形をして私の視界に見えるわけではなかったが、しかし私は自分の肉体が消滅してしまっているように感じながら、最後に残った"心"すら自分ではないことを認識せざるを得なかった。 私の、物としての心。 私の所有物としての心理。 今、その私の所有物である心が、私を苛立たせているのだと認識できる………… そう思った刹那、 私の"心"は、急に切迫した苛立つ運動をやめてしまった。 今そう思っている私は何なのか、それはわからないけれど、これは私の心ではないことだけは確かだ。 私の心は今、まるで目の前の扇風機がスイッチを切ったら止まってしまったかのようにすべての運動を止めて、ただの物になって完全に放置されてるように感じた。 勿論、視界には例の同じ退屈な風景が存在してるだけなのだから、心は見えないが、自分の心以外の何かから、そのように感じられた。 そしてこの意味不明な状況に対して、ついに切迫した不安は消えてしまい、まるで退屈な目前の風景が、自分を包み込んでくるようなさっきまでとは真逆の癒されるような感覚が私の中に走っているのを感じた。 私はそれをどこで感じているのかは全くわからなかったが、やがて霧に包まれるように、視界から風景が消滅し、私の心ではない何かの感覚すらもが薄らぎ始め… 私は… まるで… 眠るように… 意識を失っていく……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
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