母娘

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母娘

「よく来てくれたわねえ。ありがとう。駅まで送るわ。」 寿美子の笑顔は晴れやかだった。 小さな、二階建ての6件ほどのアパート。 1DK、角部屋で東側と南側に窓があって思ったより明るく、温かい。 テレビ、戸棚、ビニールロッカー。 戸棚の中にお気に入りのアンチックドールや ウイリアム・モリスのテキスタイル模様をプリントしたカップ、 ブランド物のコーヒーセットが何客が並ぶ。 まだまだ雑然とした感じだ。 戸棚の上には白磁の香炉が良い香りの煙をひと筋立ち上らせていた。 薫が見る限りでは、寿美子の顔は杉生の許に居る頃よりは よほど明るいし、健康そうに見える。 今回の話はほとんどしなかった。 いつも通りの美味しいお菓子の話、ファッションの話、芸能人の噂話…。 二人は大いに笑い、楽しく過ごしたのだ。 「…お父さんの事、聞かないのね。」 「うん…私もう十分やったもの。30年…それだけやって十分じゃない?」 「ねえ、ときめきが欲しいって、どういうこと?」 ふふ、と寿美子が笑う。 「堀田さんの奥さんがね、おしゃべりしてる時、 突然『ああ、ときめきがほしい!』 って言ったの。 堀田さん還暦すんでるし、 あの時4、5人みんな50代後半から60代だったわ。 あなた達からすればおかしいでしょ? でもだれも笑わなかった。私も笑わなかった。 ときめきって、男性に恋したいって言う事じゃないのね、 結婚したことで犠牲にしてきたもの、 相手の事を考えて先送りしてきたこと、そんないろいろを また始めたり、計画して、ちょっとワクワクしたいって言う事だと思う。 何かしようって考えて、ああでも夫がいるからなあ、家族がいるからなあって めんどくさくなって諦めるっていうことから解放されたいのね。 まあ、恋してもいいんでしょうけど。私は今はパスね。」
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