その男、水槽

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 その日の夜、店の二階にある居住スペースで八月一日が夕飯を作る音をBGMに龍真は売上を確認する。今日も儲かったと記入が終わった帳簿をパタンと閉じた。疲れを取ろうと伸びをすれば出汁の香りがふんわりと鼻腔を擽る。優しいその香りにうっとりと目を細めた。 「今日の味噌汁なにー?」 「キャベツと卵の甘い奴」  やったぁとガッツポーズをとる。ワカメの味噌汁も王道だがやはり優しい甘さのそれの方が龍真は好きだ。そそくさとちゃぶ台の上を片して食事の準備を始めた。  今日の献立は魚の煮付けがメインに、竹輪の磯辺揚げ、トマトのサラダ、龍真が大好き甘い味噌汁だ。煮付けは箸を入れただけでホロホロと身が取れ、飴色のソースがまた食欲をそそる。竹輪の磯辺揚げも揚げたてで、パリパリの衣は青のりで着飾られていた。トマトも新鮮な赤が部屋の照明を受けてテカテカと艶やかに光っている。味噌汁だって負けてない。優しい麹の香りに包まれ、卵とキャベツが絡み合ったそれはまるで大輪の華のようだ。甘めの味付けで整えられた食卓に、自然と唾液が口に溜まった。 「早く食べるねぅー、お腹空いたねぅー!」 「雛鳥か君は。いや稚魚って言った方がいいか?今麦茶でも持ってくるから先に食べていてくれて構わないよ」 「わーい!」  いっただっきまーす!と子供のように嬉嬉として箸をつける。見た目はこちらの方が幼いのになと麦茶をコップに注ぎながら八月一日は独りごちた。 「確か、昨日の今頃じゃないかな?肝試しをしたという時間は」  ふと、思った事を口にする。すると夕飯をほおばってた龍真の手が止まった。その顔は嫌そうに歪められている。 「えぇ、今その話する?いいじゃん?無視してれば。どうせ『憑いて』いたのは憑物にも満たない雑魚だったし。ちゃんとあの飴玉で追い祓えたんでしょ?しゅわーって黒いのが離れてくのちゃんと確認したよ」  不満を表現するようにくるくると箸を振り回す。はしたないよとやんやり窘められたので口元に突っ込んだがそれもはしたないと取り上げられ、箸置きに置かれた。 「前々から気付いてたけど、物理的に害を出し始めただろう?」 「……まさか『喰え』って言うんじゃないよね?」 「そのまさかさ」  なんてことの無いように味噌汁を飲みながら告げる。龍真はガチャン!と食器が鳴るのにも関わらずちゃぶ台に突っ伏した。 八月一日は構わず食事を続けている。
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