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「ねえ、九王沢さん?」
僕が勝手に語りだしたのが悪いのか、九王沢さんは、じっと息を詰めているばかりで本から顔を上げない。さっき一応、物語の口火を切ってみたんだけど肝心の彼女の返事がないのだ。あれ、もしかして僕に全然注意向いてない?
「あのさ、そろそろ…話をしてもいいかな?」
「ええっ?!あっ、はっ、はい!」
もう一度、僕が言うと九王沢さんは、おでこを指で弾かれたように冊子から顔を上げた。
「ごめんなさい。お話聞く前にもう一度って思っていたら、つい内容に見入ってしまいました。でも、もう大丈夫です。お話、どうぞ。いつでも、どこからでも、うかがいます」
と言うと九王沢さんは足を組み替えて座り直した。玄関先で飼い主を迎えるトイプードルの子犬みたいだった。さすがは英国系クォーターだ。微妙に正座が出来てないのだ。
「ごめん。すっごい話しづらい」
「どうしてですか?今、那智さんの声、一番よく聞こえてますよ?」
どきどきするからだよ!まださっきは隣に座ってるくらいだったからいいが、こんな近くで真っ直ぐこっち見られると、吐息の気配すら感じられてしまう。しかもジンの気配が九王沢さんの吐息をもっと甘く、悩ましいものにしている。さらには中途半端に畳まれた太ももの線が、ちゃんと正座出来てない分、いやにしどけなくて。
これでは精霊どころか淫魔が先にやってきそうだった。
僕は床に手をついたまま、ぐいぐい迫ってきそうな九王沢さんから顔を逸らして、ため息をついた。だったらさっきみたいにそっぽ向きながら話を聞いてもらった方がまだましだった。
「そ、そうだ、九王沢さん。本」
僕はあわてて自分の小説が載っている会報誌を拾い上げると、九王沢さんの顔との間に距離を作ろうとするように掲げてみせた。
「サークルの合評会みたいに読み合わせするって言ったろ?だったらそこから話を始めないか?」
「合評会みたいに、ですか…?」
九王沢さんは目を丸くしたが、すぐに何かにぴんときたのか興を得たように、その唇を綻ばせた。
「それは名案だと思います」
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