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九王沢さんの澄んだ朗読の声が、僕にはあのときの光を浴びた記憶を呼び起こさせた。確かにあそこで僕の意思は途絶したのだ。九王沢さんは遺体だと、それを表現した。でも僕は本当はそこにあるのは、遺体だとすら、実感できなかったのではないか。
僕は大きく息をつくと、覚悟して言った。
「九王沢さん、僕の言葉は確かに届かなかった言葉だった。たぶん僕は彼女に、届かなかったことを認めることすらしていなくて、結論を受け入れただけだったのかも知れない」
彼女が好きだった。
その言葉の死を、僕はまだ受け入れていない。
それは単純に、まだ諦めていないと言う意味ではない。突然死に絶えたその言葉が僕の中で宙に浮き、まだ亡霊のように漂っていると言うことだ。
決して大げさな話でなく、彼女を愛した僕は、確かに一度死んだ。そして気がついたら、蘇生していた。僕の中でその過程がすっぽりと抜けていることが、今の僕が書く文章の空疎さを形作っているのだ。
「彼女と言うのは、小説の女性ですね…?」
九王沢さんはうかがうように小さな声で尋ねると、心配そうに僕をのぞき込んできた。
「この方はもしかして、亡くなられているのですか?」
「いや」
僕は反射的に言ってから、思い直してかぶりを振った。
「死んではない。常識的に、物理的にはと言う意味でだけど。でももう存在しない。僕につながる道は、そこで全て喪われてしまったから」
九王沢さんは美しい顔を痛ましそうにかすかに歪め、しばし何かを思った後に質問を重ねてきた。
「どんな方だったんですか?」
グラスに少し残ったジンを舐めながら、僕は考えた。
「物凄く直感力の鋭い娘だった。九王沢さんとはまた、別の意味でだけど」
あなたには自分の言葉がない。
九王沢さんと同じことを、僕はかつて彼女に言われた。
でも考えてみれば、一つ決定的に違う点がある。
彼女は僕の中に自分の言葉がないと断じ、九王沢さんは、あると信じてくれた。僕はそんな九王沢さんに全てをきちんと話したかった。そこでついに彼女の名前を告げることにした。
「その人の名前は、眉月果恵さんって言ったんだ」
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