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正一のその呼びかけにも、聡美は何も答えなかった。その代わり、これから行くだろう方向に、さっと体を向けることで答えた。
「……」
並んで歩き出した時、正一は思わず強く、聡美の手を奪うように握った。一瞬、聡美は意外そうな顔で正一を見上げた。
☆
週の初めにもかかわらず、夜の渋谷の街は、人いきれがすごかった。
二人は手を繋いだまま、その喧騒の中を、整然と通り過ぎて行った。何一つ、言葉も交わさずに。そそくさと、円山町へと向かって、早足で道玄坂を上がって行った。
華やかな通りから、一本路地に入ると、そこにはたくさんのラブホテルのネオンが瞬いていた。時間はまだ、夜の八時を少し回ったくらいである。
だがすでにもう、そこには何組かのカップルの姿があった。
二人は、一軒のホテルの入り口に、そのまままるで吸い込まれるようにして入っていった。
中に入ると、ロビーの正面の壁に、たくさんの空き部屋の写真が、埋め尽くされるようにして並んでいた。
どこがいい? そう正一が聞くより先に、聡美は勝手にある広めの部屋を選んだ。二人の前の、銀色の鉄の塊のような機械から、一枚の小さなレシートが、ジーっと音を立てて、控えめに出てくる。
聡美はそれを、ひどく手慣れた手つきで破り取るとーー何も言わず一人でスタスタと、エレベーターの方に向かって歩いて行った。
「……」
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