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「従者がなぁ、優秀すぎるのだよなぁ……」
「ん?何か言ったか?」
「何も言っておらんわ。それより雪、お前、どうやっておれを見つけた?」
「そりゃあそこは、あんたの行きそうな道を選んだだけだが。人好きのあんたが、まず目指すとなれば江戸だろ?」
当たっているだけに、火白は苦虫を噛み潰したような顔になった。それがおかしいのか、ひとしきり笑った雪トは不意に真面目な顔になった。
「そいで、江戸のどっかに伝手でもあんのかい?」
「ないぞ。おれはろくに里から出なかったからな。まあ、人であったころより頑丈な体ではあるからな、適当にさすらっていても死にはすまい」
跡継ぎだからと、火白は里の外へ出てはならないと教えられていた。それでも監視の目を潜ってちょくちょく外には出ていたのだが、それは如何せん氷上の里に近い人里で、江戸のような大きな街には行ったことがなかった。
向かおうとしている江戸に、知り合いの妖がいるわけもない。だから、正直なところ雪トに見つかったことに安堵している自分もいた。
死にはしないだろうし、簡単にやられもしないだろうが、話し相手のいない旅は退屈なのだ。
ともかく気軽に言ってのけた火白を見て、雪トはまた額を押さえた。指の隙間から、よく光る眼が火白を見ていた。
「それからもうひとつ、姫さんのことはどうするんだい?」
それか、と火白は額をかく。
雪トが姫さんと呼ぶのは、ただひとり、火白の許嫁である久那姫のことだ。美しい長い黒髪と濡れたような黒い瞳を持ち、おとなしやかで気性のやさしい、穏やかな娘である。
久那は、氷上の里とは山五つ分離れた、同じく妖の隠れ里の姫だった。
ただしこちらには、一人前の者と認められるために人を喰え、というようなしきたりはない。人を見守り、その営みを慈しもうとする、古い山神を長として、その眷属である山の妖たちの暮らす里だった。
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