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久那は昔、人の娘だった。山の神と人間の女との間に生まれた稀有な存在だったが、幼い時分に命を落とし、その後父である山神の手で妖へと転生したのである。
鬼の里と山妖の里の長たちは、話し合って互いの息子と娘をめあわせることに決めたのだ。
幼い時分には、氷上の里で共に遊んだ。歳ごろになって、久那は花嫁修業のためと自分の里に戻っていったが、月に一度は雪トに使いを頼んで、文のやり取りをしていたし、己に何かあったら真っ先に久那を頼れと、雪トに言ってもいた。
今回、雪トが火白の側を離れていたのも、久那への文を出しに行っていたからだ。
月に一度は、彼女に会っていたわけだから、雪トが久那のことを気遣うのも道理かと、火白は素直に答えることにした。
「どうもこうもないだろう。いずれ良縁に恵まれるだろうさ」
火白が里から追い出されたのだから、当然婚約もなかったことになるのだろう。だが、完全にこちらが原因であるから、彼女の疵にはならないだろうと思っていた。
だが、雪トは焦れたように額を指で叩いていた。
「そうじゃなくってだな、あんた自身はそれでいいのかい?あれだけ綺麗な姫さんなのに、惜しくはないと。姫さんのこと、どう思ってたんだい?」
やけに突っ込んで聞いて来るな、と思いながら、火白はこれにも正直に答えることにした。
「好いているよ、心から。だから猶更、会いには行けんだろう」
氷上の里から追放されたのだ。それも、髪を切られた上に、死んだ者とするとまで宣言されたのだから、扱いは罪人一歩手前である。
気性のやさしい娘だから、きっと幼馴染の追放を聞いて泣くだろう。だが、芯の強い姫だから忘れてくれるだろう。
そういうと、雪トは深く、沈み込みそうなほどに大きく息を吐いた。
「そこまでへこむか?」
「当たり前だっつうの。はー、そりゃ確かにあんたは阿保としか言いようがねぇわ。姫さんも大変だな、こりゃ」
「お前、たまに急激に無礼になるな。久々に組手でもするか?」
やれやれと大げさに肩をすくめる雪トに、火白のこめかみにぴしりと青筋が立った。
「そいつは勘弁だ。だが、姫さんのことに関しちゃ、あんたは阿保だぞ、紛れもなく」
「はあ?どこがだ?」
「第一に、あんたは妖たる姫さんの情を軽く見すぎだ」
にやりと、人の悪い感じに笑った従者に、火白は急に嫌な予感を覚えた。
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