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しかし、そんなメール。ぼくは心の底からどうでもよかった。
そんな事よりももっと重大な気付きがぼくにはあった。
それはぼくという人間には、やりたい事が一切無いという、恐らくは自分では認めたくなかった、本能的に逃避していた、本質的な部分だったのだろう。
それからぼくは、学校にも行かず、就活も行わず、バイトすらバックレて、部屋に引きこもり続けた。風呂にも入らない、髭も剃らない、歯も磨かない。そうやってひたすらに、自分という人間が、本当は何がやりたい人間なのか、深々と考察、分析した。
自分という人間の過去を振り返った。
小学校中学校、高校、そして大学生活。
改めて、出来るだけ客観的に自分という人間を考察して、そして改めてわかった事。
それは自分という人間が、常に人の意見、周囲の行動に流されて生きてきたという事だった。部活の選択や、文理選択、そして大学選び、就職活動。
常に人の意見を聞いて、意見を参考にして、しすぎて、生きてきた。
だからぼくにはやりたい事なんて無かったし、今も無いのだろう。
それでも今までは自分が学生だったから、何とかなってきた。
でもここからは、自分が稼いだお金で生きて、生活していかなければならない。
社会に対し、会社に対し、何かしらの役目を果たした上で、お金を稼ぎ、生きていかなければならない。生きていかなければ、ただただシンプルに、死ぬだけだ。
それはぼくにとって、絶望的なまでに、辛い現実だった。
現在ぼくは、親からの仕送りによって生活している。たまに派遣のアルバイトをする事もあるけれど、その収入は微々たるものだ。とてもじゃないけれど、そのお金で生活なんて出来ない。でもいままではそれでも大丈夫だった。大丈夫だと思っていた、これから先もずっと。のほほんと何となく、流されるように生きて、死ぬ。そういうものだと、思っていた。思っていたといっても「そういう事実」を自認していたわけではなく、ただただシンプルに、無感情に、ぼくは受け入れていただけた。
学生と社会人じゃあ、「やりたくない事」をやらなければならない大きさが、大分違う。
ぼくはいままで、「やりたくない事」はなるべくしないように生きてきたし、学校は特別嫌いじゃあなかったけれど、好きでもなかったけれど、無感情に、通う事が出来た。学生であるという事は、ある意味で免罪符だった。許されていたのだ。
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