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基本的に、広告会社などの戦略は、神経戦であり、対象を疲弊させたり、心理操作を行うための作品が多いのだと思う。本来、心を豊かにしたり、知識を増やしたりするための「作品」というものが、単に神経戦の手段として発表されていることは驚きである。その中で感動したり、ためになったりする「質の良い作品」がどれだけあるのか。敵の司令部を叩くには、司令官を追い詰めるべく、宣伝を行うのであろう。
僕は味方のことを思った。僕がすべきことは少ない。それはただ普通の作品を書き、発表するだけだ。
ただチーズケーキを食べて、インスタントコーヒーを飲んだ。原稿を書く。
窓の外を見ると、空は曇っていて、何だか気分がふさいだ。
歴史上、天才と呼ばれる人の作品は常に、ほめ殺しなどとは無縁の、純粋な意味での「芸術作品」であった。ブロンテもヘルダーリンも、メルヴィルもそうだと思う。メルヴィルの「バートルビー」の美しさ。この世には無数の作品が存在し、きっとその中に、鉱山の土の中の宝石のように輝く作品のきらめきがある。時の流れを閉じ込めたような、紫水晶の輝きのようなもの。青や緑に輝く詩情。文学は恋愛の要素なくして成り立たない気がする。この世には戦争という側面もあり、その状況の中で、限りある命のうちに私たちの恋がある。そして、花を摘まなくては、私たちの人生は、あまりにも虚しいものではないだろうか。人は生きても九十五歳。
(つづく)
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