1 塩烏町

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1 塩烏町

 僕は東京の江東区から、電車で青森の塩烏町(しおがらすまち)に行った。  引っ越し業者に荷物は頼んである。問題はない。  塩烏町は標高がやや高い、自然の多い町で、古い家が多かったが、インターネットは普通に普及しているようだった。  自動販売機がわりと多く、その中の果汁二十パーセントのマンゴージュース(百円)はすっきりしてとてもおいしかった。  目指す家は平屋の二部屋の家で、畳敷きだった。風呂は普通の風呂。キッチンもちゃんと使えるごく普通のキッチンだったが、旧式である。  家でペットボトルの緑茶を飲み、蒸しパンを食べていると、引っ越し業者が来て荷物を運びこんでくれる。そこに町のおじさん(原口さん)も来ていて、「これあげるよ」と言ってゆでとうもろこしをくれた。 「年末には餅をあげるよ」  原口さんは言った。  とうもろこしは甘かった。いつか白い生のトウモロコシを食べたことを思い出す。 「原口さんは煙草は何を吸われるんですか」  僕は言った。 「マルボロ」  僕は、自分の小説が広告性のないものであることに気付いた。人はみな広告を付けようとするのである。スポンサーがないということは、好きなものが作れるわけで、もしかしたらコンシューマーゲームもそうかもしれない。でもアニメにはスポンサーがある。池澤夏樹や桐野夏生など、一般小説の作家にはスポンサーが付かないから、わりと言いたいことが言える。しかし、それなら僕が書く小説サイトはピクシブあたりなのだろうか? 進めば進むほどわからない小説界である。実力があればこそ、スポンサーとの契約は必要ないし、スポンサーに言いたいことを制限されるのは前から嫌だと思っていた。一般小説の書き手はたとえば新聞に記事を書いたりもするのだ。一般小説の書き手が、ライトノベル中心の小説サイトに書いている。どこの小説サイトもライトノベル中心だ。  プランテーションは労働力を強引に集めて、過酷な労働を強いた。作家や漫画家も出来が良ければ、必ず何か嫌なことを押し付けられる。きっとそのような中で、少しやけになったような作品、つまり安部公房や辺見庸のような諧謔味が生まれてきた。
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