1 塩烏町

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 ノートPCを使って小説を書いた。  色々書いているのだが、僕も執筆暦二十年くらいになり、それなりに書けるようになってきた。  自宅に光回線を引いている。ネットにつなぎながら小説を書く。  昼になると秋刀魚の塩焼きとご飯、味噌汁、サラダが出された。四百円だった。  あさがおの職員はいい人だが、そもそも僕が人をいい人だとか悪い人だとかに分けるようになったのは、そもそも僕が……  きっと、人それぞれ、それぞれの苦労があるものだ。だから、僕の苦労だって、僕の作品世界を形成し、「喪失の文学」とも言える長良文学を作ったとも言えなくはない。苦労があって、今の自分がある。そして今は少しづつ自分の仕事をこなしていっている。皆に感謝である。  しかし、人間は仕事も大事だけど、何より結婚ではないか。  塩烏町で新しい恋人を探そうか。  この町には栗の木や桃の木、びわの木があり、それぞれの季節になると実をつける。  イチイという実も甘い。これは種に毒があるから気をつけなければいけない。  神様なんているわけがない。ドストエフスキーの小説にもキリーロフという無神論者が出てくる。  あまりにひどかった公共事業。悪魔同然のつまらない連中が、この世を跋扈していて、その顔を見れば、悪意とおびえの透けて見えるぶざまな顔なのだ。そういう人々が、公共事業と称して不正義を行っている。私たちはくらしによってその不正義と戦っていかなければならない。くらしといえば今日僕はブリの塩焼きを食べた。おいしかった。母は悪魔同然の連中に苦しめられた。母と僕の間に、悪魔同然の連中によって不和が引き起こされた。和解するはずだった母と僕も距離が離れていく。孫だって(孫娘がいいんだけど)母に見せられるかは、わからない。でも、僕はきっと自分の仕事を立派にやりとげた。一つの仕事を終えた。そして今、この平屋の窓から外の空気が入ってくる。涼しい空気。ピッチャーで冷やした薄いインスタントコーヒー。そしておはぎ。  家族は引き裂かれた。父はⅣ度の熱傷(?)にもかかわらず、火傷した皮膚をごしごしこすられて虐待されたという。未開発国でなら、柔らかい布をかけて見守るとか、薬草を乗せて見守るのではないだろうか。
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