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きみのねがい
「いってきまーす! あ、今日は帰り遅くなるから! 夕飯はいらないよ!」
「はいはい、いってらっしゃーい」
慌ただしく玄関で靴を履いて、腕につけた時計を気にしながらひかりが出てくるのが見えた。その様子をじっと見つめて、僕は今日も笑みをこぼす。
ひかりと出会って、今年で十五回目の春を迎えた。
とはいえ、彼女とともに春を過ごせたのはその内の一度きりである。それ以降は彼女に話しかけることもせず、現世に降りることもなく、ただじっと神世からひかりを見守っている。こんな日々にも、もうすっかり慣れた。
ひかりは今年二十歳になったらしく、一丁前に化粧をして、流行りであるらしい踵の高い靴を履いて出かけていくことが増えた。短大という少し離れた学校に通っていて、それも今年卒業するようだ。
今日もひかりは、自転車で十五分ほどかかる駅に向かっていった。その道中、ひかりは僕の神社がある森の前を通るのだが、決まって毎日行うことがあった。
いつもと同じように、ひかりは今日も参道の入り口で自転車を止めた。そして自転車に乗ったままぱちんと手を合わせ、古びた鳥居に向かって小さな声でぼそぼそと何かをつぶやく。
「今日も、おいしいものを食べられますように!」
それだけ言って、ひかりはまた慌てて自転車を走らせた。時間が無いのならこんなことをしなければいいのに、それでも彼女は毎日こうして願っている。
傍から見れば、なんて食い意地の張った子供っぽい願い事をしているのかと笑われることだろう。実際、ひかりが十歳くらいの頃、友人にそうやってからかわれているのを見たことがある。
でも、僕だけは知っている。ひかり自身も分かっていない、その願いの本当の意味を。
だから僕は、今日もひかりを見守るのだ。彼女が僕を覚えていなくてもいい。触れられなくてもいい。この優しい願いが途切れぬようにと、僕は今日も願った。
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