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重い鉄の扉を開けると、びゅうっと強い風が吹いた。その強風に少しよろけつつ、つかつかと屋上の端まで歩いて行って、錆びた欄干に手をかける。
こんなに風が強かったら、せっかく書いた遺書という名の退職願も飛ばされてしまうかもしれない。これから死ぬつもりだというのに、何も言わずに死んだら無断欠勤になるのかな、なんて馬鹿なことを考えた。
「こんなもんでいいかな。うん」
仕方なく、履いていたパンプスを脱いでそれを遺書の上に置いた。
映画やドラマを見ていて、屋上から飛び降りる人はどうして靴を脱ぐのだろうと疑問に思っていたけれど、みんなこうして遺書の重しがわりにしているのかもしれない。新たな発見だ。まあ、新発見をしたところでもう死ぬんだけど。
もう一度欄干に手をかけて、真下を見ないようにしながらそれを乗り越える。ただまっすぐ前だけを見据えると、都会の夜景がいやに輝いて見えた。ド田舎の実家で暮らしていた一年前、夢に見るほど憧れていた景色だ。
このまま、この美しい夜景だけを目に焼き付けて死のう。そう思った私は、眼下できらきらと輝く光をじっと眺めた。
さっきから手の震えが止まらないけれど、これはきっと寒いせいだ。決して死ぬのが怖いわけじゃない。だって、生きてたっていいことなんて一つもないんだから。だったら死んでしまった方が楽に決まってる。
怖気づきそうになる自分にそう言い聞かせて、そっと目をつぶる。
そして、一際強く吹いた風に身を任せるように、体を前に傾かせた。
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