第1章 未だ痛みは消えず。

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 西に沈む夕日に照らされない、真っ黒な女が立っていた。女は古めかしいセーラー服を着ており、あちこちに無理矢理引き裂いたみたいな裂け目ができている。長いスカートは膝の震えと共に左右に揺れ続け、足先のローファーは土と泥で塗り固められていた。手には錆びた包丁が握られており、切っ先は僕に向かって伸びている。垢汚れにまみれた髪は濡れたようにしっとりしていて、女の顔を完全に隠してしまっていた。  雨だれのプレリュード。イツキ先輩の携帯電話は、なぜかその女から鳴っていた。  やばい。  瞬間的に危機を察するが、足が硬直して動けない。逃げなきゃ、と足に語りかけても、粘土で固められたみたいに持ち上がらない。非現実に遭遇すると、人は動けなくなるということをここで知る。にじり寄る女の目を見て、助けてくれと心から願った。  すると。ポケットの中に入っていたお守りが、やけどしそうなほど熱くなり、ブルブルと震えた。熱が、振動が足の硬直を解かし、驚くほど体が軽くなった。  間一髪、包丁が胸に刺さる直前に身をひるがえして走った。  やっと見慣れてきていた町の姿が、豹変した。空を夕闇が徐々に染め上げるも、街灯は一つとしてともらない。家の隙間から、橋の下の川から、はるか遠くから、濃霧がやってきて行く手を覆い隠した。周囲に助けを呼ぶが、返事は聞こえない。現実と切り離された場所を走りながら、どこまで逃げても女に殺されるしか、未来がない気がした。
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