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凛は子供のように、心から不安げに言った。
やっぱり、離れられない。めまいに似た、強烈な愛しさがこみ上げる。
俺は凛に抱きついた。ほっとしたのか、凛の身体から力が抜ける。
「ごめんな、俺はお前達に甘えすぎてたな」
もういい。弁解はいらない。凛が以前の凛に戻るなら、それで。
じっくり抱きあって、キスをして、俺は言った。
「行こう、凛」
車で青山にある凛の所属事務所に行った。地下の駐車場に車をとめ、エレベーターで五階に上がる。誰もいない受付の前を通り、応接室に入った。その間、なぜか誰にも会わなかった。
応接室のガラスのローテーブルの上に、ぶ厚くふくらんだ茶色のファイルが置かれていた。表紙に乱暴な字で「ラブソングを歌え」と書かれ、下に小さく、撮影・石橋北斗とある。
俺達は、「ラブソングを歌え」というタイトルがつけられたファイルを前に、並んで座った。
いったいこれはなんなのか。説明を促すように凛を見ると、凛は弱々しく微笑んだ。
「北斗が撮りためた中から選んだ俺の写真を、写真集として出版できるように、構成したものなんだ。企画書みたいなものまで添えて、亡くなる前に両親に託したらしい」
凛はいとおしむような視線を、ファイルに向けた。
大きな身体に、弱く繊細なこころ。そんな凛が歌えなくなることを分かっていて、北斗はこれを遺した、ということなのか。
素直にうらやましい。それだけ、北斗は自分が愛されてると感じていたんだろう。「ラブソングを歌え」。いいタイトルだと思った。なによりも強く、俺が凛に望んだこと。
凛は俺の手を握り、ふうっと息を吐いた。静かに腕を伸ばして表紙を開く。
最初のページは、赤いライトの中の、凛の横顔。リビングに飾ってあった写真の一つだ。凛はしばらくその写真を見つめ、おもむろにページをめくった。
ラブソングを歌え。
左のページにはそれだけが書かれ、右にはステージで全身でシャウトしている凛。放出しているパワーが見えるような、迫力ある写真だ。
ラブソングを歌え。
北斗の手書きの文字が、写真の合間に何度も繰り返す。
ステージで。レコーディングで。ツアーのリハーサルで。
凛は、歌う。
北斗のカメラは、どこまでも真摯に歌に取り組む凛の姿を、しっかりと受け止め、とらえている。
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