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目をしぱしぱさせながら、しかし、さてどうしたものかと私は考える。パジャマで出社などクビを切られるに決まっている。社会人なのに、こうなることを予測してベッドにスーツを準備していなかったことが大変悔やまれた。はあ、とため息をついた私に、「おーい」と誰かが呼びかける声が聞こえてきた。声のする方を見れば、ベッドに乗ったスーツ姿の男が、木の棒をオールのように使ってこちらに向かっているところだった。
「君、大丈夫かい」
ちょうどベッドが隣り合う位置に来ると、男はそう問いかけた。私はかぶりを振る。
「大丈夫なものか。出社しなきゃいけないのに、スーツもないし最悪だよ」
「なんだって?」
怪訝そうな男に、私は羨望の目を向けた。
「ああ、君が羨ましい。君、今から出社するんだろう?」
「君、今から出社するつもりかい?」
「当たり前だろう」
「驚いた。君は相当真面目だとみえる。僕はもう会社なんかには行かないつもりだ。実は昨日スーツのまま寝てしまってね。こんな堅っ苦しいものはとっとと脱いで、パジャマが欲しいと思っていたんだ」
「君、会社に行かないって正気かい」
私が驚いていうと、彼は当たり前だろうと頷く。彼は相当肝が座っているらしい。それか、ただの馬鹿だ。しかしこれは私にとって好都合な出来事であった。
「じゃあ、もし良かったら君のスーツと私のパジャマを交換しないかい?」
「もちろん。昨日着っぱなしのものでよければ」
「仕方がないだろう」
取引はあっさりと成立した。互いに服を脱ぎ、互いの着ていたものを交換する。パジャマに着替えた男は拘束が解けた囚人のようにスッキリとした顔をしていた。
「君の出社、応援しているよ」
「ああ、ありがとう。君、そっちのほうが似合っているね」
「ありがとう。じゃあ、僕はこれで」
男はまた木を使ってベッドという船を漕ぎだした。出社もしないのに、彼は一体どこに行くのだろうか。 不思議に思いながら、私は彼を見送った。さてはて、これで出かける準備は整った。しかしまだまだ問題は山積みだ。会社までは泳いで行ったらいいにしても、私は泳ぐことが出来ない。会社がどこにあるかも分からない。遅れるかもしれないと会社に連絡を入れなければならないが、電話がない。今何時なのか不明の為どのくらい遅れるか伝えられない。ああ、だめだ。出社できない可能性が浮上して、私は寒気を覚えた。なんとかして出社しなければ……。
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