亜希子を慮る僧

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亜希子を慮る僧

なぜか、千里の隔たりを経てやっと巡り会えた師に、必死にすがるがごとき思いに陥っていたのである。誰か熱い胸のうちを、込み上げて来るものを押しとどめられるだろうか。『…いつの世も一番弟子たらん…』という誰かの声が亜希子の胸のうちに響き渡っていた。それへ、鷹揚にうなづいて見せて、僧が亜希子の思いをしっかりと受け止めたようだ。しかしここでもし腕など差し伸べようものなら、亜希子はきっと感涙にむせびながら僧の胸に飛び込んで行くのに違いない。宿世の願いが、業への対決が、そのように軽々しく現れ、為されるものだろうか。為されていいものだろうか。それは畢竟彼女藤原亜希子ひとりで為されねばならないことのはずである。亜希子以上に師弟への思い、就中弟子への思い篤く、強きがゆえに、僧はなお彼女との間に一壁をつくらざるを得なかった。また自らはいまは空の身であり、現し身はこの男である。彼が主役であらねばならないことを、それが現世の決まり事であることをよくよく承知していた(これが悪霊の憑依となると100%自らが出、支配してしまう)。この男のふだんからの感性と意趣の中に我空を沈めつつ、僧は自らを男にからめて行くのだった。一方かたやの男にしてみれば確かにいま自分がしゃべっているのだが同時に、第三者的に、自分の言動を感心しながら聞いているような塩梅なのであり、一種摩訶不思議な心持ちになっていたのに違いない。彼にはふだんから祭り場における口上士のような、取って付けたような口上癖があった。いまなぜかあふれ来る出所の知れない知識と、委細無かったはずの胆力に溺れ、また普段は決して会って話すこともないだろう妙齢の娘たちに囲まれてかなりヒートアップし、且つ自らに酔っていた。空なる僧はそれと知りつつ、ともに楽しんでいる…。 「いやいや、しかしですな、観音も小町もなかなか云い当て妙なのです、あなたのみならず他のお嬢様方にとっても。絶世の美人であったがゆえに彼女小野小町は世に人に背かれ、あばかれ続けた。卒塔婆小町、玉造小町の逸話でもわかるとおり、死してもなお彼女は晒され、暴かれ続けたわけです。はたして世は人は美人が憎いのでしょうか?美人であればあるほど世間は、その人物の難点欠点をさがしたがる。これは畢竟美人という名の排除であり、ねたみの壺なのです。このことがひとつ。次には…」
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