光る人魚

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 深度400m。雪が舞い上がっている。他は見えない。真っ暗だ。  潜航して3時間が経過。小田さんはしんかい6500の中央に座って、じっと前を向いて窓の外を見ている。潜航艇の中は全て動画で記録されているため、うかつに会話ができない。ジョンはその隣で眠りこけている。寝息が聞こえる。  私は。私は人魚の事を考えていた。あの動画。人魚が潜航艇の窓を叩いた、あの動画。かなりの勢いで窓を叩いている。はっきりと自分の手の水掻きを見せつけるように。それは自己主張である。人魚の自己主張。何故このタイミングでそれをしなければならなかったのか。何故このタイミングで人魚が自己主張をする必要があったのか。そして次の瞬間。水掻きの手の向こうに、一瞬顔が見える。人魚の顔。男の顔。男の顔が潜航艇の中を覗く。その表情。怒り。怒りだ。怒りの感情。何故? 何故怒るのだろう。何に対して怒っているのだろう。私は昔から人魚に興味があった。子供の頃から。これまで私が接してきた人魚は全て人間の創作物であって、人間が作った物語の中で語られる存在だった。しかし今回は違う。直接私達の目の前に本物の人魚が現れた。そして、感情を露わにした。人魚の持つ感情。怒り。揺さぶられた。根こそぎ掴み取られたかんじだった。私の感情。私の意識。がっつりと掴まれて、そのまま持って行かれた。どこに向かうのかはわからない。でも、いてもたってもいられない。私は行かなければ。行動しなければ。人魚のために。行動を起こさなければ。  それから5年。私はここに来た。グリーンランド海。深度600m。私は人魚が現れた深度に到達しようとしていた。
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