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「ここ最近、いつも頭のどこかに、子供が産まれたその日に死んでしまいたい、という衝動が、薄っすらとあるんです」
山崎の声は静かに響いた。
自分にとっては子供とは自分の生まれ変わりのようなものだ。けれどもし生まれ変わりなのだとすれば、生まれ変わりの自分が産まれてなお自分が生きている、というのは辻褄が合わない。ならば死ぬことでその辻褄を合わせるべきなのではないか。
あるいは、子供を自分の身体の延長のようなものだと考えてみた場合。大きくなるにつれて子供は意思を主張するようになる。となると現在の自分の意思は、この先延長した身体に乗っ取られていく。それは寄生虫に乗っ取られていくようでおぞましい。そうなる前に死んでしまいたい。
あるいは、子供と自分が全く別の存在である、と考えた時。なぜ他人のために自分を犠牲にしなければならない。そんな不当な搾取をされるくらいなら死んだ方がマシだ。
あるいは、
あるいは、
あるいは。
山崎の不安はどれも浩之には理解不能だった。
それ故に、山崎の狂気ばかりがはっきりしてしまう。
こんな奴と話していたって無駄だ。
浩之は黙って立ち上がった。山崎はそれでもしゃべり続けた。浩之は山崎を無視して財布から一万円札を取り出し、テーブルの上に置いて、そのまま山崎に背を向けた。そして一度も振り返ることなく店をでた。少し歩いた大通りでタクシーを停めて乗り込んだ。
タクシーの中では山崎が発した奇妙な絶望のことを思い返していた。
結婚前の貴重な時間を無駄にしてしまったことに対する自己嫌悪でうんざりしていた。どうでもいいことばかり聞かされた。馬鹿馬鹿しいと思った。
ポケットが着信で振動した。婚約者からだった。運転手にことわって通話のボタンを押した。
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