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複雑な関係
馴染みのバー「エバンズ」。店内を満たすジャズピアノの旋律を、ドアベルが遠慮がちに掻き消した。
「――よう」
現れた親友に、軽く手を上げる。入ってきた大倉は、被っていた帽子を取ると頭を下げた。
「ありがとう、拓朗」
「マスター、奥いいかい?」
カウンターのスツールに座ろうとした大倉を制し、グラスを磨いているマスターに声掛ける。頷くのを見て、店内最深部の席に移動した。夕べと同じテーブルだ。
「何か飲むか」
待つ間に喉を湿らせていた、手元のグラスを示す。飴色のウィスキーが丸い氷を1/3ほど浸している。
「あ――いや。素面で話したい」
「そうか」
大倉は、オークブラウンのスリーピースを着ている。今日は休日なので、この場のために正装してきたということか。
「改めて……」
「いつからだ」
遮って、相手の目を真っ直ぐ覗き込む。大倉は、一度グッと引き締めてから、唇を開いた。
「一昨年の秋、優雅……さんがミュンヘンに来ただろう」
「あぁ……」
意外な切り出しに、虚を突かれた。
就職した輸入雑貨を扱う会社で、優雅は若手としては異例の抜擢を受け、ドイツに3ヶ月間の海外研修に行った。外資系企業勤めの大倉は、当時ドイツ支社に赴任しており、現地で何度か会ったとは聞いていた――。
「観光案内する間に惹かれたんだが、僕が風邪で寝込んだ時に看病に来てくれて――その後、帰国してから改めてデートして、告白したんだ」
「お前……優雅がガキの時から知ってるだろ。女として見れるのか」
「最後に見たのが18の時だ。5年ぶりに会った彼女は、すっかり美しい女性になっていて……年甲斐もなく心奪われたよ」
少し緩んだ顔は、大学時代に初めて彼女が出来たと、照れ臭そうに打ち明けてきた表情に重なった。
大倉は結婚にこそ至らなかったものの、折々に女の影はあった。そりゃそうだ。健全な男なんだし、美形ではないが、落ち着いて知的な雰囲気は魅力的だろう。
「常識的には、優雅より先に迎えが来る。そのことは、どう考えてるんだ」
これは、父親として当然の問い。
「あらゆる保険に入る。心配や負担はかけない」
「お前、海外転勤があるよな。別居する気か」
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