序章

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 何十。何百。何千。何万。  幾星霜と映し出した瞳には憂いの色が帯びていた。  静謐に閉ざされた世界に法衣を纏う姿が座している。  伏せられた視線の先には対となる筆と書が置かれていた。  筆には銀に縁取った十字印が描かれていて上下左右に緋、瑠璃、紺碧、翠の色彩輝く宝珠が嵌められている。  枯れ枝の様な指先が十字の装飾に触れる。思考による逡巡の間を置いて筆は主に握られた。  黒檀色の卓上に置かれた一冊の書の表紙には新月の模様が描かれ縛る粗末な麻紐が結び留められている。  確かめるように指先が触れる。紐が糸を紡ぐ様に引かれ開かれた書の内部を晒して(ページ)が捲られていった。  皺寄れた指先が文字と記号の羅列をなぞり、握られた筆が書の空白を埋めていく。  踊る様に筆先が進む。晒された白の空白を筆先が横断していく。新たな舞台を用意する様に書の項が次々と捲られていった。  止め処なく溢れる水源の知識が書に記されていく度に、筆に散りばめられた宝珠は輝いて見えた。  しかし筆がそれから先の景色を見る事は無かった。  枯れ枝のような指先から筆が離れ瞬く間に床に向かって落ちていく。  硬質な床に叩き付けられ銀の十字架に嵌められた宝珠が散らばった。  筆は鋭利な断面を覗かせて内包する自らを零した。  止め処なく溢れる液体に映る主の瞳は、やはり憂いに満ちていた。    
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