第1章

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 薬を呷ったり手首を切ったりではなかったようだ。勝手に妄想をふくらませて、何も聞かなかったあたしも悪いんだろうけど。  パジャマ姿の雨宮の左足は、ギプスで固められ吊られている。  不意の目まいに襲われ、アパートの階段を踏み外してしまったのだという。  よっぽど疲れが溜まっていたのか。骨折はしたものの、ぐっすり眠れてむしろ体調はいいのだとか。 「お見舞いに来てくれたのはうれしいけど、劇のほうはすっぽかすつもり?」 「お前がいうなよ! でも、ほんとによかった~」  へなへなと床に座り込んだあたしに、雨宮はどこかよそよそしい態度を見せる。もじもじと体を動かし、毛布をずらそうとしている姿から、つま先を隠そうとしているのだと気付いた。  バレエの練習によるものだろう。毛布からのぞく、雨宮の足の指の関節はタコやまめだらけで、割れている爪もあった。 「あの、あのね。バレエ教室の件は本当にもういいのよ。新体操部で充分練習できるし、なんだったら本格的に新体操の方に乗り換えても――」 「雨宮の練習のたまものだろ? 恥じることないじゃん!」  いつだかあたしに言ってくれたことのお返しだ。  照れ隠しなのか、なおもごにょごにょとごたくを並べる雨宮の足を手に取り、そっとつま先に口づけた。 「――ッ!! 汚いから! やめなさい!!」  枕もとの目覚まし時計やリモコン、お見舞いの果物が手あたり次第飛んでくる。  ひどい。 「でも……ありがとう、直」  ふいに下の名前で呼ばれ、思わず赤面。 「……“すなお”じゃ男みたいだ。どうせならナオって呼んでほしい……」 「あら。素直じゃないのね、ナオは」  くすくすと楽しそうに笑う雨宮。  ――いや、雨宮じゃおかしいか。 「前から思ってたんだけど、“あまみやみお”って語呂が悪いな。みゃもでいいか?」 「その呼び方はダメ。許さない」 「……わかった。みお」  なにかトラウマスイッチでも押してしまったのか。  不意に低く平坦な口調で呟くみおに気圧され、あだな呼びは一時断念する。  その代わり、今度来るときは、じっくりペディキュアを塗ってやろう。  嬉しさを隠しきれていない、みおのにやけ顔を見ながら、あたしは次のお見舞いの計画を立て始めた。
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