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パタパタとお母さんのスリッパの音が食卓に近づいた時には、お父さんはもう私のトーストを口の中にすべて詰め込んでいた。立ち上がりながらコーヒーをぐいっと飲んで、何食わぬ顔で食べ終わった食器を重ねている。
「なあ、里桜は今日、予定あるのか?」
週末はいつもお母さんだけ仕事、お父さんは休み。こんなセリフも特に珍しくはない。でも今日は胸が高鳴る。
「別に。なんもないけど」
文芸部という穏やかな課外活動を選んだおかげで、土日に学校へ行くことは滅多にないし、今日は友達ともなにも約束をしていない。おこづかい前であんまりお金も持っていないし、今週末はダラダラと過ごそうと思っていた。
「じゃあ、あとよろしく。行ってきます」
お母さんが濃紺のジャケットを着て、いつも通り八時十分にせわしなく家を出て行く。カタン、と玄関のドアが閉まる音がした。お父さんは、ふう、と漏らすようにため息をついてソファに座り込み、テレビをつける。食事中は消すように言われているけど、私もお父さんも、それを守っているのはお母さんがいる時だけだ。
「映画でも観るの? お父さんが好きそうなの、今やってたっけ」
お父さんに付き合ってって言われたら、だいたいそれだ。
「ううん。ドライブ」
聞き慣れない言葉に、思わず眉間にしわが寄る。
「ドライブ? どこに?」
「さあ。目的決めず、思いついたまま」
「なにそれ」
「そんで、今日お母さん遅くなるっていうからさ、帰りにどっかで飯も食おう」
まるでデートみたいじゃん。言いかけて飲み込んだ。お父さんは好きだけど、異性を感じさせるワードはちょっと気持ち悪い。
「ふうん」
どうせ家にお母さんはいないんだから、わざわざ外へ連れ出さなくてもいいのに。だけど、なぜそうするのかもなんとなく察知していた。出かけた先で起こるであろうことを想像したら途端に気分が重たくなって、私は箸を置いた。
「もう、いらない。お父さんあと食べて」
ちぎった後のトーストと、目玉焼き半分、それにベーコンを全部お皿に残した。
「しょうがねえなあ」
お父さんはお皿と箸を抱えソファに戻り、テレビを見ながらそれをあっと言う間に平らげた。
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