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運命の行方
津波の影響で瞬く間に倒壊してしまう、児童福祉施設である若葉の里児童園。
それから、一週間程が過ぎた頃………。
震災の被害で倒壊してしまった瓦礫の町並みを清掃している民間企業のボランティア・クルーの姿を、付近の木陰から見つめている3名の少年少女の姿があった。
寺岡 修二、小池 拓磨、榎本 未季………。
彼等は、東日本大震災での生存者であり、その傍らには『若葉の里児童園』と記された看板のみが傷付けられながらも残されてあった………。
何故、彼等が施設に預けられる事となってしまったのか? ………その理由を、まだ幼い彼等には、詳しくは知る由も無かった訳なのだが。
修二と拓磨は、四国にある徳島県で、その産声を上げた様である。
修二は、実家が代々、資産家の家系であり、彼の父親は、と或る I T 企業の代表取締役社長であったのだが。修二は幼少の頃、父親の仕事上の都合で岩手県宮古市へと引っ越して来た。
修二にとって、初めて見る新世界………。
新しい土地での暮らしには慣れない一面もあったのだが、それ以外には特に難儀をする事も無く、修二にとっては何不自由の無い生活。頼れる父に優しい母。修二の将来は、約束されているかの様に思われていた。
ところが、不況の続く中、修二の父親の企業は倒産を余儀無くされてしまい、修二の家庭は財産を失い、多額の負債を抱えてしまう事となった。
やがて、絶望に暮れた修二の両親は、彼を施設に預けた後、心中を企てたのである。他に身寄りの無かった修二は、それ以来、施設で暮らす事となった訳である。
………今となっては、修二とは兄弟同然の拓磨。
拓磨は、幼少時代の或る日、母親と一緒に新幹線で福島県の辺りにまで旅行に訪れていた。
拓磨の母親は未婚の母であった。拓磨の父親の所在は、明らかにされてはいない。彼は、幾度と無く、父親の所在について母親に尋ねる事はあったのだが……………………
「………僕のパパって、何処にいるの?」
しかし、拓磨の母親は、その事については一言も口にする事は無かった。
在来線に乗り継いで、見知らぬ駅に辿り着いたその場所で、母親が拓磨に言った。
「………タッ君。ママ、お手洗いに行って来るから、此処で少し待っててくれる?」
そう言って、母親は、拓磨の下から姿を消した。そのまま、置き去りにされてしまった拓磨。しかし、そうとは知らず、母親の言葉を信じて、拓磨は待ち続けた。
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