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知りたくなかった。
自分が仕えるべく勇者が悪の心を持っていることを。
認めたくなかった。
初めて主人と対面したときの高揚。
旅立ちのときのあの晴れやかな気持ち。
ずっと、ずっと焦がれていた。彼に。勇者に。
それなのに彼は、こんなにも恐ろしいのだ。
あの日以来、神への祈りで瞳を濡らさない日は無い。ランスロットは毎晩、礼拝用のランプを灯し、一人その身を震わせていた。
以来、主人は魔王の話をしないが、確実に近づいているのだろう。彼の歩みに迷いはない。
そして後に続く者がそう簡単に進めぬよう、自分の通った道はことごとく塞いできた。
町を水没させたり、山崩れを起こしたり、井戸に毒を流したり。
その他にも、道中、行き会ったほかの勇者候補と励ましあったその晩、彼らの宿に火を放ったこともあった。
ランスロットはこのようなことがほかの勇者候補の足止めになるのかと、主人にたずねた。
すると主人は“勇者は困っている民を放ってはおけず、必ず復興に立ち寄るから十分足止めになる“という。
後に気が付いた。
この悪事が明るみになっても、主人には無関係だ。ランスロット一人が手を下している。すべてはランスロットの罪……。
主人はそのために別の宿に泊まり、日にちをずらして出立するのだった。
主人は『悪』そのものだ。
もう、取り返しもつかない。
ランスロットが学んできた騎士道とは真逆な行いは苦痛でしかない。
いっそ、主人と同じところまで堕ちてしまえたら、と思う。
だが、そこまで沈み込むには闇が必要だ。陽の光のもとに生まれ育ったランスロットの内にはそんな心の影はなかった。
彼から逃げ出したい。
苦しみながらも、勇者への崇拝の心は正しくあるままだった。
いよいよだ。ひと山超えたところに目的地があるというところまで来てしまった。
この日もランスロットは夜が明ける前、暗いうちからひっそりと町中の畜舎を周り家畜の餌に毒を混ぜた。
主人から渡されたものがどんな毒かは知らない。これを食べた動物たちは苦しむのだろうか。死んでしまうのだろうか。
荊を握りしめてももう、痛みを感じないほど自分自身が許せない。
罪悪感の胸の痛みで人は死ねるのだろうか? ランスロットは一人すすり泣き、町を後にした。
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