ニゲロニゲロ

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「……今日子ちゃん、大丈夫かい? また痩せたみたいだ。言ってくれれば車を出したのに。俺が今日子ちゃんちに出向いても良かったんだ。無理をさせたね。さあ、座って座って……」  所長である博が使っていた小さな部屋の扉を開けると、そこには今一番今日子を安心させる顔が待っていた。  窓際の博のデスクにもたれ掛かって、軽く足を組み外の景色に目を遣っていたのだろう。今日子を見るなり、その整った顔が心配で堪らないと言わんばかりに張り詰める。 「大丈夫です。遅くなってしまってごめんなさい。お忙しいのに、ムダな時間を遣わせてしまって……」  昔から知っているその男は、博の親友であった人物だ。今日子にとって博亡き今、一番頼れる存在と言ってもいいだろう。今日子の目に、自然と涙が浮かぶ。 「もう今日子ちゃん。そんな他人行儀は言いっこなしだって言ってるだろう。ほら、座って。今日子ちゃんは今や俺のボスでありこの事務所の所長なんだ。もっと偉そうにして、俺や皆をこき使ったっていいんだよ。さあ、おいで」  扉を閉めもせずに突っ立ったままの今日子の腕を、 その男――長谷部浩市は掴むと強引に部屋の中央のソファに座らせる。大きな手に掴まれた腕が、急にそこだけ熱を帯びる。ソファに沈み込みながら、けれど今日子は向かいに腰を下ろした浩市の顔を見る事も出来ない。 「……ボスだなんて。私には建築の事も経営の事も何も分かりません。出来れば浩市さんに、全てを委ねてしまいたいぐらいで……」 「何を言ってるんだ今日子ちゃん。あいつが残した立派な事務所だ。もう会社としてしっかり機能していて、従業員は三十人もいる。俺がいきなりその頂点に座るなんて、そんな恩知らずではないつもりだよ。所長は今日子ちゃんだ。もちろん俺は副所長として全力を挙げて君を盛り立てる。美和ちゃんの為にも、今日子ちゃんにはしっかり稼いでもらわなきゃならないからね」  力強い言葉に目を上げると、そこにいる浩市は大学時代のままの若々しさで微笑んでいる。今日子の心にあの日感じた憧れが蘇るけれど……淡い想いは押し殺し、溢れた涙を手の甲で拭い何度も浩市に礼を言って、今日子は用意された書類に目を通していく。
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