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「雫さん?はじめまして。山口裕太です」
その人は私にそう声をかける。
彼は細身で高身長の男だった。
そしてなにより、黒髪が綺麗な人だった。そして彼は私に笑いかけた。
素直に素敵な笑顔だなと思った。
あの場所にくる大人とは違う笑顔だった。
人間はこんな風に笑うことができるのか。と感心しながら「はい。そうです」とだけ答える。
「本当の名前は?」
ここでは、遊女は与えられた名で生きる。
だから本当の名は客には教えない。
しかし、身請けした場合にのみ教えることができる。
まぁ、私にはその教える名がないのだが。
「……覚えておりません」
彼の表情が曇る。
3歳の頃から雫と呼ばれていたので私は本当の名前など覚えていなかったし、気にしたこともなかった。元々親が私の名前をあまり呼ばなかったので雫と呼んで反応するのも早かったというし、親への愛着がなかったのか、親と離れてもすぐに泣くのをやめたという。
もはや私に名があったかどうかも危ういレベルだった。
「……なら、僕が名前をつけてもいいかな?」
恐る恐る。と言った感じで彼が私の顔を覗き込んでそう聞く。
その目はとても綺麗で、あの場所にくる男たちとはまるで違った。本当に同じ人間なのだろうか。と考えてしまうほどに。そして、この男は私のことを雫と呼ぶのが嫌なのか、私気を使ってか、こんなことを言っている。こんなに優しい、穏やかな雰囲気と言葉を使う男は私の周りにはいなかった。
その言葉と雰囲気のお陰で私の心も少し落ち着きを取り戻した。
「深謝申し上げます」
私がそういい、頭を下げると彼は少しあたふたして落ち着いたかと思えば目をきょろきょろとさせる。
どうしても落ち着けないみたいだ。
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